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【選手紹介】歴代屈指のPF:ダーク・ノビツキー

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過小評価を乗り換えたヨーロッパ最強PF

2019年引退を発表し、華々しいキャリアを終えました。長年マーベリックスのエースとして活躍したダークは新しいエース、そしてフランチャイズプレーヤーの卵のスロベニアの至宝、ルカ・ドンチッチにチームを任せる形でチームから去りましたが、今シーズンスペシャルアドバイザーとしてチームに復帰します。ではそんな彼のプレイヤーとしての功績はどのようなものだったのか。今回はダークのキャリアについて解説していきます。

ドイツ時代~キャリア初期BIG3

ダークはドイツで生まれ育ちましたが、元々バスケをしていたというわけではありませんでしたが、ある日外のコートでバスケをしていると当時から高身長だった彼に目を付けたある男が彼をバスケに道に引き込みました。そしてDJKヴュルツブルクに加入したダークは1年目には期待外れの結果しか残すことしかできませんでしたが、2年目の1995~1996シーズンにはスターターとして出場、そこでスター選手とプレーする時間が増えたことで才能が開花しました。19.4得点を平均しスター選手が移籍したことでチームのエースまでダークは成長しました。

そして翌シーズンノビツキーの身長は211㎝まで伸び、平均得点も28.2得点まで上げドイツバスケットボール誌選出の年間最優秀選手賞を受賞しました。成長したダークは1997年のナイキフープヒーローズツアーでチャールズ・バークレーやスコッティ・ピッペンと対戦すること機会を得、そこでバークレーに認められ、翌年のナイキフープサミットで33得点14リバウンドを記録しUSAチームを破り、世界的に注目を集めることになり、1999年NBAドラフトにエントリーし、マーベリックスから指名を受けました。

NBA1年目のシーズン、ダークはアメリカの文化やNBAのフィジカルに適応することができず苦戦を強いられました。8.2得点3.4リバウンドを平均し期待外れのシーズンを過ごしたダークは自信を無くしドイツに帰ろうかと考えるほど追い詰められていましたが、何とか次のシーズンに挑むことを決めました。2年目のシーズン、ダークはポイントフォワードとして起用されそこでマイケル・フィンリーとセドリック・セバロスとBIG3を結成し、ダーク自身も17.5得点6.5リバウンドを平均し大きく成長し、チームは40勝42敗まで勝率を伸ばしましたがプレイオフには届きませんでした。

2000~2001シーズン、この年大きく成長したスティーブ・ナッシュと共に新たなBIG3を結成したマーベリックスとダークは大躍進しました。ダークは21.8得点9.2リバウンドを平均しオールNBA3rdチームにも選出され、プレーオフではカール・マローンとジョン・ストックトン率いるユタ・ジャズを倒しカンファレンス・セミファイナルでは永遠のライバルとなるティム・ダンカン率いるスパーズと対戦しました。このシリーズでダークは熱を出したり、歯を折るなどして1勝4敗で敗退してしまいました。

2001~2002シーズン、ダークは23.4得点9.9リバウンドを平均しオールNBA2ndチームに選出され、順調に選手として成長を続け、チームは6マンとしてニック・ヴァン・エクセルを獲得しプレーオフ1回戦では33.3得点を平均しケビン・ガーネットがいたミネソタ・ティンバーウルブズをスウィープしました。しかし、カンファレンス・セミファイナルではクリス・ウェバー擁するサクラメント・キングスのディフェンスに苦しみ敗退となりました。翌シーズン、25.1得点9.9リバウンドを平均しチームも60勝20敗の記録を残しプレーオフに進出、しかしながら、カンファレンス・ファイナルでまたもやスパーズに阻まれ第3戦ケガを負い、ファイナルに進出することはできませんでした。

2003~2004シーズンでは、フィジカルを意識して10㎏の増量をしたダークの成績は振るわず、チームも52勝30敗と成績を落としプレーオフではキングスに1回戦で敗れました。

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BIG3解散~引退

翌年の2004~2005シーズン、マーベリックスは指導陣の改革をはじめに選手陣にもテコ入れをはじめダークの親友ナッシュをFAで放出し、デビン・ハリス、ジェイソン・テリー、ジェリー・スタックハウスなど多くの有力選手を獲得し、チームに変化を与えました。その結果ダークは26.1得点9.7リバウンドを平均し初のオールNBA1stチームに選出されました。58勝24敗と成績を回復しましたが、プレイオフではナッシュが移籍したフェニックス・サンズにカンファレンス・セミファイナルで対戦し敗退しました。

翌年チームは長年チームを支えたフィンリーを放出し、これによって責任が増えたダークは3PT40.6%FT90.1%を記録し、26.6得点9.0リバウンドを平均し、選手としてまた1段階成長し、チームも60勝22敗と成績を伸ばしました。そしてプレイオフではスパーズを破りついにファイナルに出場しましたが、ファイナル第4戦ではFG2/14と第不調に陥り、シリーズ平均では22.8得点10.8リバウンドと得点面でステップアップすることができず2勝4敗で敗れダークは多くの批判を受けました。次シーズン、ダークは敗戦の悔しさをプレーにぶつけ平均24.6得点8.9リバウンドと3PT41.6%FT90.4%を記録し、マブスは球団新記録となる17連勝を含む67勝15敗を残し、ダークは初のMVPになったシーズンとなりました。リーグ1位でプレーオフに進出しましたが、歴史的な番狂わせと言われるWe belive warriorsに敗れ、ダークは非常に大きなショックを受けることになり、勝負弱いと言われるようになりました。

2007~2008シーズンにはジェイソン・キッドを獲得しましたが、チーム成績は51勝31敗と振るわず、特筆するのことないシーズンでした。翌年HCにリック・カーライルが就任しましたが、50勝32敗とさらに成績を落としプレイオフではセミファイナルでデンバー・ナゲッツに敗れダークは優勝できない選手のイメージが定着していきました。2009~2010シーズンでは、ダークは25得点以上を平均しチームも55勝27敗と盛り返しましたが、プレーオフではスパーズにまたも1回戦で敗れました。

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念願の優勝

2010~2011シーズンにダークはFG51.7%3PT39.3%FT89.2%の確率で平均23得点7リバウンドを平均しプレーオフには3位で出場しました。チームは全盛期のスターはノビツキーのみで残りのメンバーは全盛期を過ぎたスター選手が多く優勝には程遠いチームと思われていましたが、この年6マン賞を受賞したテリーやベテランPGのキッドを中心にダークの不調をカバーし、チームワークで戦ったマーベリックスはファイナルではBIG3のヒートを破り優勝しました。ダークはファイナル平均26.0得点、9.7リバウンドを記録しFT45/46本成功と効率的な得点で貢献し、ファイナルMVPを受賞しました。

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2011年以降年齢が重なってきたダークはリーグトップクラスのPFとして活躍することは少なくなり、2016年にマーベリックスと契約延長をするとメンターとしてチームを支え、2019年に引退しました。

まとめ

いかがだったでしょうか。ダークは白人選手だからというNBAの偏見と過小評価を乗り越えヨーロッパ最強のPFとしてMVP受賞、リーグ優勝と選手としての最高の功績を残しました。彼の象徴的なシュートの片足フェイダウェイは今でも多くの選手が使う技としてNBAに残っていますし、のちのNBAに大きく影響したという面でも忘れられない選手です。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!