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【選手紹介】史上最高PGのポテンシャルを持っていた天才:ペニー・ハーダウェイ

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ペニー・ハーダウェイの短くも輝かしいキャリア

2000年初頭に史上最高Cの1人シャキール・オニールと若手コンビでリーグを席巻した天才PG、ペニー(アンファニー)・ハーダウェイ。ケガに泣かされた選手として覚えられ、彼の優秀さを具体的に把握している方は少ないと思いますが、彼はマジック・ジョンソンを超えるPGになれる素質と才能を持った選手でした。今回はそんな彼のキャリアについて解説していきます。

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NBA1年目~サンズ移籍

ペニーがドラフトされる1年前にオーランド・マジックに1位でドラフトされたシャキール・オニールは、オフに映画撮影で仲良くなり後にNBAドラフト候補としてトップ指名の可能性もあるペニーをドラフトするようにチームに要求しました。マジックはその要求とは反対に1位指名権を使ってクリス・ウェバーを指名しましたが、指名直後にウェバーをトレードし要求どおりペニーを獲得することに成功しました。

1年目から仲の良かったシャックとペニーのコンビは大躍進し、ペニーもオールルーキー1stチームに選出される活躍を残しチームはプレイオフに進出しました。しかしプレイオフでは若さゆえの経験不足を露呈し1回戦でスウィープ負けを喫しました。

2年目シーズンにはエースPGとして起用されチームは57勝25敗と好記録を残し、ペニーはチームを引っ張ったことが評価され2年目選手ながらオールNBA1stチームに選出されこの年から4年連続でオールスターとして選出されることになりました。そしてプレイオフではジョーダンのいるブルズを退けNBAファイナルに進出しましたが、ロケッツに4連敗し、優勝を成し遂げることはできませんでした。

そして3年目のシーズンではシャックがケガによって欠場していたことをきっかけにペニーはシャックを超えるチームの中心的存在になり、2年連続でオールNBA1stチームに選出されましたが、プレイオフではシャックの不在が響きブルズと対戦の末敗退し、シャックは自分が1番の中心選手でなくなったことに腹を立てレイカーズに移籍することになりました。

その結果ここからペニーの負担は大きく増え、その負担と期待に応えるためにケガを押して出場していたペニーの身体は限界を迎えていきました。シャックが移籍して最初のシーズンとなった1996~1997シーズンにペニーは膝のケガで23試合を欠場し、ペニーへの負担の増加が明らかになっていました。それでもペニーの才能に懸けていたマジックは彼を第1戦で使い続けました。

翌シーズンもペニーは膝のケガに悩まされ19試合のみの出場に留まり、チームもプレイオフを逃しペニー自身のスタッツも大きく低下していたことからファンのフラストレーションが爆発しペニーはチームのエースながらファンからのブーイングを受ける存在になってしまいました。マジックでプレーした最後のシーズンとなった1998~1999シーズン、チームはプレイオフに進出しましたが、1回戦では敗退し、起用法に不満があったペニーはサインアンドトレードを要求しサンズへ移籍し、ジェイソン・キッドとバックコートコンビ(バックコート2000)を結成しました。

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サンズ時代~悲劇の引退

サンズに移籍したペニーはSGとしてキッドの隣で16.9得点アシストとリバウンドは5以上とまずまずの平均記録を残しました。プレイオフでは平均20.3得点と活躍しましたが、カンファレンス・セミファイナルでレイカーズ相手に敗退し、翌シーズンはふくらはぎのケガによってたった4試合の出場でシーズンを終えることになりました。

そして2001~2002シーズンは久しぶりの健康なシーズンを過ごし80試合に出場(先発は55試合)しましたが、ペニーはこの年移籍してきたステフォン・マーブリーと衝突しチームの雰囲気を悪化させプレイオフ出場とはなりませんでした。翌シーズン、チームは若手のジョー・ジョンソンを獲得し、若手中心のチームになり始めたサンズでペニーは構想外になりました。

そして翌2003~2004シーズンではペニーはニックスにトレードされ、ペニーはベンチ起用が増えました。ベンチプレーヤーとしてプレイオフでは16.5得点を平均しましたが1回戦で敗退しました。翌シーズンペニーは37試合に出場しすべての試合でベンチ出場でプレーしました。

2005~2006シーズンには膝のケガによって4試合のみのプレーに留まり、シーズン途中で古巣のマジックに放出されましたが、契約が高額だったためマジックは1試合も彼をプレーせずすぐに解雇しました。そして2007~2008シーズンにはヒートと契約し、シャックと再会することになりましたが、チームの不調の責任を取る形で解雇され、そこから事実上の引退状態となりました。

まとめ

いかがだったでしょうか。プレーに華があり、将来のNBAを背負う選手として大きな期待を背負っていたペニーはケガによってその才能を活かしきることができませんでしたがキャリア前半で残したインパクトは歴史上でも稀に見るパフォーマンスでした。優勝やMVPなどは受賞していないので忘れられがちな選手ですが、是非この記事を読んで彼の素晴らしさを思い出していただけたらと思います。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!