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【選手紹介】史上最強になるポテンシャルを秘めていたC:ビル・ウォルトン(2/3)

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歴史に残るMVPシーズンと急激な衰え

前回の記事では史上最強レベルの大学生として大学バスケ界で暴れまわり大物としてNBAに挑戦したときから2年間をケガによって狂わされたのちにNBA入りからわずか3年でファイナルMVPを受賞したときまでのビルのキャリアについて紹介しました。今回の記事では本格的にケガに悩まされ、ファイナルMVPとシーズンMVPを受賞したブレイザーズを去りその後過ごした1チーム目までについて紹介していきます。

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MVPシーズン~わずか4年での放出

優勝を成し遂げファイナルMVPを受賞したビルは翌シーズンも爆発的な活躍を続けました。彼は58試合を出場と少し試合数が少なめでしたが、平均18.9得点13.2リバウンド5.0アシスト2.5ブロックを記録し、オフェンスとディフェンスの両方でリーグを支配していました。それはこの年の彼の受賞歴にも表れ、彼はシーズンMVPとなり、オールディフェンシブ1stチームにも選出されました。ブレイザーズはビルの貢献によって58勝を記録してプレイオフに進出しましたがこのプレイオフがビルのブレイザーズでの最後のシーズンとなってしまいました。彼は1回戦のソニックス戦の第2戦でケガをしてしまい、何とかプレーしようとX線での検査を受けましたがそこで左足首の骨折が明らかになり、プレイオフに復帰することはできませんでした。

オフシーズンにチームのケガに対する対応や不十分なケアに不満を持っていたビルはトレードを要求しました。しかし彼がトレードされることはなく、1979年にFAになったタイミングで当時はサンディエゴに拠点を持っていたクリッパーズと契約を結んで彼はブレイザーズに別れを告げました。

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新たなチームでのスタート~優勝を目指すための移籍

1979年5月にビルは7年契約をクリッパーズと結び、地元に復帰することになりました。地元にケガをしやすいとは言え昨シーズンのMVPが来たことでサンディエゴは盛り上がりましたが、彼のケガはかなり深刻でありわずか14試合しか出場することができませんでした。さらに足首のケガに加えて、1979年プレイオフで骨折した鼻骨を再び骨折してしまい、1982年までの間プレーをすることができませんでした。ビルの足の形は少し特殊であり、回復に時間がかかりましたが懸命なリハビリを経て1982~1983シーズンに復帰することができました。この年は2年プレイしていなかったとは思えないパフォーマンスを残し平均14.1得点9.8リバウンド3.6アシスト3.6ブロックという記録を残し、完全復帰の予感か感じさせました。

しかし彼のケガのダメージは確実に蓄積され、彼の身体を蝕んでいきました。復帰した時点で30歳だったビルは復帰シーズンこそ良い成績を残しましたが、次のシーズンから成績が落ち始めクリッパーズから移籍する前のシーズンには67試合の平均スタッツが10.1得点9.0リバウンド2.3アシスト2.1ブロックになりました。しかし、彼のブロック力を中心としたディフェンス力と、センターとしては中々高かったアシスト能力に目を付けた2つのチームがありました。それらのチームとはレイカーズとセルティックスであり、ビルは自分の最後の活躍の場としてセルティックスを選び1985年に移籍をしました。

まとめ

いかがだったでしょうか。ビルはシーズンMVPを受賞した時のパフォーマンスをケガによって1年間どころか半年も維持することができませんでした。クリッパーズに移籍してからの彼のプレーはお世辞にもスターレベルと言えるものではなくなっており、クリッパーズとしてはトレードでリスクを負って獲得した選手ではないとしても大きく期待を裏切られた選手になってしまいました。次の記事ではケガを重ねてもあきらめなかった彼の努力と辛抱がついに報われるときについて紹介していきますので是非彼のキャリアの最後まで知っていただきたいです。

このブログではNBAの歴代選手や歴代チームの紹介をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!