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【選手紹介】時代最強SGを争った歴代屈指の選手:クライド・ドレクスラー

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歴代でも屈指のSG

バスケットボールの神様、マイケル・ジョーダンと時代最強SGの座を争ったクライド・ドレクスラー。彼はジョーダンがドラフトされる1年前にドラフトされたSGであり、ジョーダンさえいなければ時代最強の選手になれたでしょう。

ブレイザーズでの優勝をあきらめロケッツに移籍したのちに優勝を成し遂げたドレクスラーですが、彼のキャリアはどのようなものだったのでしょうか。今回はドレクスラーのジョーダンと切り離すことができないキャリアについて紹介していきます。

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大学時代~初のNBAファイナル出場

ジョーダンとドレクスラーのライバル関係はNBAに入る前の大学時代からスタートしました。ドレクスラーは高校バスケではあまり有名な選手ではありませんでしたが、名門のヒューストン大学に進学し、そこでNBAドラフトで上位指名が予想されるほどの逸材へと成長しました。1981年のNCAAトーナメントではファイナル4にまで進みましたがそこでジョーダン率いるノースカロライナ大学に敗北しました。大学でタイトルをつかむことができませんでしたが、その才能は大学バスケ界でも屈指のものであり、1983年に全体14位指名を受けトレイル・ブレイザーズでキャリアを始めました。

才能を買われてブレイザーズに指名されたドレクスラーでしたが、彼のルーキーシーズンはその以前からチームに所属していた数々の選手たちによって少ないプレータイムに終わり、ロッタリーピックながらオールルーキーチーム選出を逃す結果になりました。

しかし1984~1985年シーズンからは平均得点を大きく伸ばし、彼のチームにおいての存在感を強くしていくことになりました。チームは平均得点を倍以上(17.2得点)に伸ばしたドレクスラーを中心としたプレーを展開するようになり、彼はチームをプレイオフ常連にするまでの選手に成長しました。

1985~1986シーズン、ドレクスラーは18.5得点8.0アシスト2.6スティールを平均しSGとして優秀な成績を残しオールスターにも選出されますが、プレイオフでは1回戦でナゲッツに1勝3敗で敗れました(当時のプレイオフ1回戦は3勝先取制)。

1986~1987シーズンにはマジック・ジョンソンとラリー・バード以外達成できなかった21得点6アシスト6リバウンド以上を平均し、個人としての存在感をさらに強めましたが、プレイオフでは1回戦でオラジュワン率いるロケッツと対戦し24.0得点を平均するもチームは敗れるなど悔しいシーズンになりました。

そのあと2シーズンもドレクスラーは個人として活躍したもののプレイオフでチームが勝ちあがることができず、ドレクスラーはチームを勝利に導けないとして活躍の割に高い評価を得ることができない時期が続きました。

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キャリア全盛期~ブレイザーズとの別れ

1989~1990シーズンにドレクスラーとチームは躍進を果たすことになります。チームはPFのバック・ウィリアムスを獲得し大幅な補強に成功。その補強に引っ張られたのか、ドレクスラーはキャリア通算10,000得点を達成します。オールNBA3rdチームに選出され、チームはついにプレイオフファイナルまで進出します。ファイナルでは2連覇を達成することになるピストンズと対戦しましたが、1勝4敗と力の差を見せつけられ敗退しました。

次シーズンには21.5得点6.7リバウンド6.0アシスト1.8スティールを平均し、MVP投票では6位に入り、オールNBA2ndチーム選出されました。MVP級の選手として大活躍したシーズンでしたが、この年もプレイオフではレイカーズ相手に敗退しファイナル出場とはなりませんでした。

1991~1992シーズン、ドレクスラーはついに実力通りの評価を得られるようになり、オールNBA1stチームに選出されました。MVP投票ではジョーダンに次ぐ2位になり、プレイオフでもNBAファイナルに進出しました。しかしながらここでMVP投票で敗れたジョーダンのブルズに優勝を阻まれ、ドレクスラーはチームに不満を抱くようになりました。

ここから2年間はケガに悩まされたり、チームに新しく加入した戦力にエースの座を渡したりとパフォーマンスが低下したドレクスラーは長くプレーしたチームに別れを告げオラジュワンのいる地元チームロケッツに移籍することになりました。

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初優勝の栄光~ジョーダンと比較され続けたキャリアの終焉

1994~1995シーズンに41試合をブレイザーズでプレーしたドレクスラーは地元のロケッツに優勝リングを求めて移籍しました。オラジュワンがいたチームの2番手としてプレーすることになったこの1年目のシーズンですが、ドレクスラーは見事にチームにフィットし、20.5得点を平均し、プレイオフでも2人のエースに引っ張られたロケッツはジャズ、サンズ、スパーズを破りファイナルではペニー&シャックの若いマジックを破りついにドレクスラーはチャンピオンリングを手に入れることができました。

ここからロケッツにはスターのチャールズ・バークレーが移籍してきてスーパーチームを結成しますが、チームの中心選手は全盛期を過ぎたスターであり、スターの故障と衰えによるパフォーマンスの低下が原因でBIG3の時期にドレクスラーにとっての2度目の優勝は実現することはなく、1998年を最後にドレクスラーは引退しました。キャリア通算で史上4人しかいない20,000得点6,000アシスト6,000リバウンドを達成し、

まとめ

いかがだったでしょうか。ドレクスラーはジョーダンと比較され続けたことで実績や実力を過小評価されがちな選手です。しかし彼はキャリア通算20,000得点6,000アシスト6,000リバウンドを達成した史上4人の選手のうちの1人であり、NBA史上屈指のSGであることは間違いなく、もう少し彼のキャリアをジョーダンとの比較でなく単体として見てくれる人が増えてほしいと思います。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!