NBA Watcher 【毎週投稿】

NBAの歴代選手や歴代チームの紹介などをするブログです。

【選手紹介】史上最高のエンターテイナー:ジェイソン・ウィリアムス

にほんブログ村 その他スポーツブログへ にほんブログ村 その他スポーツブログ NBAへ にほんブログ村 その他スポーツブログ バスケットボールへ にほんブログ村 その他スポーツブログ その他スポーツ情報へ

f:id:koroUTAS:20211006191423j:plain

キングスの王朝期のきっかけになった独創的なプレイヤー

キングスがウェバーを獲得したその年にドラフトされたジェイソン・ウィリアムスはNBA選手らしからぬ派手なパスやドリブルで試合中にバスケショーをしているようなプレーで観客を魅了した歴史上でも最も派手な選手の1人です(ロッドマンには負けますが笑)。彼はキャリア後期に優勝も成し遂げている選手ですが、これほど印象に残っている選手なのに永久欠番や殿堂入りはおろか、オールスターにも選出されたことがない選手です。今回は強烈なインパクトで記憶に残る彼のキャリアについて紹介していきます。

f:id:koroUTAS:20211006192340j:plain

大学時代~キングス王朝期

高校で活躍し、USA Today選出のウェストバージニア州最優秀選手になったウィリアムスは元々地元の大学に進学するつもりでしたが、結果的にマーシャル大学に進学しました。そこでHCをしていたビリー・ドノバンに導かれた彼は在籍した2年間で1年のみマーシャルでプレー(1年目はレッドシャツ)し、13.4得点6.4アシストを平均し、ドノバンがフロリダ大学でHCをすることになるとそれについていくようにフロリダ大学に転校しました。そしてフロリダ大学に転校したウィリアムスはスターターとしてプレーし、17.1得点6.7アシスト2.8スティールを平均しましたが、違法薬物の使用で最終年プレーを禁止され、1年プレーをしていない状態でそのままNBAドラフトにエントリーすることになりました。

リスクはありましたが、ウェバーを支えられる若手PGを求めていたキングスは彼を1998年に全体7位で指名しました。自由なプレースタイルで、どこからパスが飛んでくるかわからないウィリアムスのプレーは派手で、チームに勢いを与えました。1年目のルーキーチャレンジゲームでは伝説のエルボーパスを披露し、ウェバーは今までプレーしたことのないタイプのPGとプレーしたことで心からバスケを楽しんでプレーすることができ、その影響で個人成績も上昇していましたが、その反面、派手なプレーを狙いすぎるあまり先発PGとしてチームをコントロールする力に欠けていました。さらに大学時代からのやんちゃさが抜けない彼は時折出場停止や罰金処分を受けることもあり、チームは彼の勝手な行動にケミストリーを乱されていきました。そして、2001年にチームはより堅実なPGのマイク・ビビーを獲得するためのトレードアセットとして彼をグリズリーズへトレードしました。

f:id:koroUTAS:20211006194006j:plain

勝利をもたらせないPGとしての評価~ヒートでつかみ取った栄光と低調

グリズリーズにトレードされたウィリアムスは2002年にチームのHCがヒュービー・ブラウンになったことで、自分の強みを発揮することができるようになり2005年にはプレイオフに出場しました。しかし自身は活躍しましたがサンズにスウィープ負けを喫し、それが原因で「ウィリアムスはチームの勝利のためにプレーしていない」と批判記事を書いたジェフ・カルキンズに対してペンを投げたり耳元で叫んだりするという問題を起こしました。そしてグリズリーズはこれ以上彼をチームにおいておくことはできないと判断し13人の選手が巻き込まれた史上最大のトレードに彼を入れ、ウェイドがエースのヒートに移籍することになりました。

2005~2006シーズン、ウィリアムスはケガによる欠場がありましたが、ウェイドの控えとしてプレーしていたことで負担が減り、最終的に55試合に出場しました。ヒートにトレードされてからベンチプレイヤーになったことで彼はチームに貢献することを意識し始め堅実なPGとしてプレーし始めました。そして、12.3得点4.9アシストを平均しシーズンで100本の3PTを沈めた3人の選手のうちの1人になり、プレイオフでは平均得点がレギュラーシーズンよりも低くなりましたが、11試合で2桁得点を記録し、確実に貢献し、カンファレンス・ファイナルのピストンズ戦では10/11の確率で20得点を記録しチームを勝利に導き、ファイナルでも活躍し、最初で最後の優勝を達成しました。

優勝の次のシーズン、ウィリアムスは61試合中55試合にスターターとして出場しましたが、ベンチ出場だった昨シーズンよりも多かったプレータイムで昨シーズンよりも得点面でスタッツを落とし、10.3得点5.3アシストを平均しました。このシーズンもプレイオフに進出しましたが、ウィリアムスは大きくパフォーマンスが落ち、わずか平均5.8得点3.5アシストに終わりました。

2007~2008シーズン、ウィリアムスは67試合に出場し、さらにスタッツを落としました。しかし衰えによりパフォーマンスは落ちていましたが、その代わりに正確なプレーを重視したウィリアムスは、FG41.5%、3PT35.3%、FT86.3%のなかなかの高率で得点を重ねるようになり、3月のマジック戦では5本の3PTを含む34得点を記録しました。皮肉にもウィリアムスが年齢を重ねることで若いころに求められていた堅実さを身につけたこのシーズン、チームはプレイオフを逃すことになり、彼は1度の引退を表明しましたが、2009年にマジックで現役復帰を果たしました。

f:id:koroUTAS:20211006213208j:plain

現役復帰~PGとして成長するきっかけを与えた地への帰還と引退

2009年ウィリアムスはヒート時代のHCのスタン・バンガンディーがいるマジックと契約を結び、フロリダ大学でプレーした地に戻ることができました。1番手PGのジャミーア・ネルソンがケガをしていたことでウィリアムスは18試合をスターターとして出場し、シーズン82試合すべてに出場しました。チームはカンファレンス・ファイナルまで進出しましたが、第6戦で敗退し、1年契約しか結んでいなかったウィリアムスとマジックは、ウィリアムスのベテランとしての活躍と堅実性を必要としており、再契約を結ぶことになりました。

再契約を結んで挑んだ次のシーズン、9月下旬に左膝の手術を受けたウィリアムスは新しくチームに入ってきた元スターのギルバート・アリーナスとクリス・デューホンによってスポットを奪われ、1月中旬に放出されました。

そして同じ年の2月にヒートへ自分をトレードしたグリズリーズと2年契約をしましたが期待されパフォーマンスを発揮することができず、4月に引退を表明しました。

まとめ

いかがだったでしょうか。ウィリアムスはキングス時代の変幻自在のパスやドリブルが印象的でそのイメージしかない方も多いと思いますが、ヒートやマジックで活躍していた頃の彼は派手なプレーをしていた彼とはまた違って、チームのために戦う良いPGでした。今回の記事をきっかけに彼のキャリア全体を少しでも知っていただければ嬉しいです。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!