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【選手紹介】バスケットボールの神様:マイケルジョーダン①

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バスケの神様、そしてNBAの常識を変えた選手

NBAで最も有名な選手であり、絶対的な存在としてバスケの神様とも呼ばれているマイケル・ジョーダン。しかし当時ドラフトされる前から彼がここまでの選手になると思っていた方は意外と少ないでしょう。ではそんな彼がどのようにして神様にまで上り詰めたのでしょうか。今回はジョーダンのキャリアで最初の3連覇までについて紹介していきます。

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大学時代~ピストンズとのライバル関係

ジョーダンは高校を卒業するとノースカロライナ大学に進学し1982年にNCAAトーナメントで伝説のウィニングショットを決め大学を2度目の優勝に導き3年生時にはネイスミス賞とウッデン賞を同時受賞しました。そしてこの3年時にコーチに進められNBAドラフトにアーリーエントリーしました。ドラフトでは確かにポテンシャルや大学での実績が評価され高順位での指名が期待されましたが、この年は大学で圧倒的な実力を見せており当時のセンターが支配していたNBAにピッタリのビッグマン、アキーム・オラジュワンが1位指名を受け、ジョーダンは3位でシカゴ・ブルズに指名されました。

ジョーダンは1年目からスターターとして出場し、28.2得点を平均しスコアラーとしての実力を存分に発揮しましたが、自分の実力を過信するが故の態度がチームメイトによく思われることはなくチームから孤立することもありました。それでもスコアラーとして大活躍し2年目には22.7得点、3年目には37.1得点と点取り屋としてすでにリーグ最高の選手になっていましたがプレーオフでは個人として大活躍するもののチームメイトが彼を助けることができず3年連続で1回戦敗退になりました。

1986年頃にはNBAを支配していたセルティックスが少しずつ高齢化によって衰退していきましたが、それによって力を持ったのは将来の乗り越えるべき壁となるバッド・ボーイズの名前で知られていたデトロイト・ピストンズでした。そして1987年プレイオフでセルティックスに敗退するとそれから1988年、1989年と2年連続でブルズはプレイオフでピストンズに敗退しました。そして1989~1990シーズンには若手のスコッティ・ピッペンとホーレス・グラントが成長し、チームもトライアングル・オフェンスを取り入れ勝率は向上。ブルズはチームとして力をつけ、プレイオフでピストンズと対戦しましたが3勝4敗と惜しくも敗退することになりました。

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初優勝~1度目の引退

翌シーズン、ジョーダンはプレースタイルを変更しチームプレイヤーとしてプレー(それでも31.5得点で得点王は怖すぎ)ました。チームも当時チーム史上最多の61勝をマークしプレーオフでついにピストンズをスウィープしファイナルではマジック・ジョンソン率いるレイカーズに4勝1敗で勝利しついにジョーダンはピストンズを倒し初優勝を達成。ファイナルMVPも受賞しました。翌シーズン、ブルズは昨年更新したチーム史上最高勝利数を更新し67勝を上げ、ファイナルに出場すると同世代で比較され続けていたクライド・ドレクスラー相手に圧倒的なパフォーマンスを残し2連覇を達成しました。

1992~1993シーズンには57勝とレギュラーシーズンでの勝利数は減りましたがファイナルに進出この年シーズンMVPを受賞していたチャールズ・バークレー擁するサンズと対戦しました。このシリーズでNBAファイナル歴代最高となる41得点を平均しジョーダンはファイナルMVPを受賞しキャリア1回目の3連覇を達成しました。この年のオフに父を不慮の事件によって失ってしまったジョーダンは父の隙だった野球をするために1度目の引退をし、全盛期での引退はメディアと世間を驚かせました。

まとめ

いかかだったでしょうか。ジョーダンの1度目の引退までについて紹介していきましたが、この引退でキャリアを終えていたとしてもジョーダンは歴史に名を刻んでいただろうと思えるほど達成したキャリア前半でした。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!