【選手紹介】バスケットボールの神様:マイケル・ジョーダン②
父の死と1度目の引退を乗り越えたキャリア後半の3ピート
1度目の引退前にも3ピートを成し遂げたジョーダンは父の死後野球選手に転身したのちに復帰をしました。そしてそこで有名な歴代最強チームの一角を作り上げキャリアで2度目の3ピートを達成しました。今回は1度目の引退~本当の引退までの解説をしていきます。
電撃復帰~3ピート達成
1995年にジョーダンはブルズに復帰し世間を騒がせ、この年背番号を23番から45番に変えてプレーしました。ジョーダンはプレイオフ1回戦でシャーロット・ホーネッツを破り2回戦に進出しましたが、この年ペニーとシャックの黄金若手コンビを擁していたマジックに2勝4敗で敗れ悔しい復帰シーズンになりました。
そしてその悔しさをエネルギーにしたジョーダンは背番号を23番に戻し、以前のジョーダンに戻ったようなパフォーマンスを発揮しました。シーズンが始まると、歴代でも最高レベルのディフェンダーかつリバウンダーのデニス・ロッドマンが移籍、トニー・クーコッチとロン・ハーパーもチームをディフェンスや得点で支えブルズは歴代最高勝率を記録できるかもというレベルでプレーしていました。そしてこの年ジョーダンは平均30.4得点で得点王に輝き72勝10敗の当時歴代最高勝利数及び勝率を記録しました。プレイオフでも他を寄せ付けない試合運びで優勝しジョーダンは当たり前のようにファイナルMVPを受賞しました。
続く1996~1997シーズン、ブルズは69勝を記録し、プレイオフファイナルではカール・マローンとジョン・ストックトンのダブルエースが引っ張るユタ・ジャズと対戦しました。4勝2敗で少し危ない形で優勝を決めたブルズは2連覇を達成。ジョーダンもファイナルMVPをまた獲得しました。
次シーズン、HCのフィル・ジャクソンが今シーズン限りの退任を仄めかし、ピッペンとフロントとの関係が悪くなっていたことから最強ブルズの最終年になるのではという思惑がシーズン開始の時から噂されていました。ファイナルでは2年連続ジャズとの対戦となり、また同じ4勝2敗で優勝を決めジョーダンは2度目の3ピートを達成しファイナルMVPも受賞しました。そしてこの年ジョーダンはチームが解散になることを理由に2度目の引退を発表しました。
再度の現役復帰~本当の引退
そして2度目の引退をしたジョーダンは2000年にワシントン・ウィザーズのオーナーとして新しいキャリアをスタートさせました。オーナーとしてジョーダンは初の高卒ドラフト1位指名選手のクワミ・ブラウンの指名に踏み切りました。
しかしながらチームの低迷が続いていたことを受けジョーダンは2001年に現役復帰を果たしました。2001~2002シーズンには39歳ながら平均23得点を記録しました。
翌シーズンも40歳ながら40得点を記録したり平均20得点以上を記録したりと神様にふさわしい年に見合わないパフォーマンスを残しましたが、2001~2002,2002~2003シーズンどちらもジョーダンの活躍もむなしくチームは37勝45敗でプレイオフ進出を逃し2003年にジョーダンは正式に引退しました。
まとめ
いかがだったでしょうか。バスケットボールの神様として引退するその時まで周囲を驚かせるパフォーマンスを見せ続けたジョーダン。彼の影響はのちのコービーやアイバーソンなどの出現やNBAというリーグをグローバルなものにしたことなど非常に大きなものです。
10回の得点王、9回のオールディフェンシブ1stチーム、5回のMVP、6回のファイナルMVP、3回のオールスターMVPなど数多くの実績を残したジョーダン。これから先彼を超す量の受賞歴を持つプレーヤーは出てこないのではと思わされるほど個人的にもチームとしても達成し続けたキャリアでした。