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【選手紹介】NBAの歴史に残るクラッチシュートを決めた名シューター:レイ・アレン

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カリー以前の歴代最高シューターレイ・アレン

ステフィン・カリーがシューターとして歴史的なシューターとして活躍するまでNBAの歴史上最高のシューターと言われていレイ・アレン。彼はどのようなキャリアを過ごし、どのような功績を残したのか。今回はそんな歴代屈指のシューターについて紹介していきます。

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学生時代~ソニックス時代

高校生の時から有力な選手だったアレンはヒルクレスト高校でプレーし最終年には高校を州大会制覇に導き輝かしい高校キャリアを終えコネチカット大学に進学しました。そこでも期待通りの活躍を残したアレンは3年生時には、大学オールアメリカンの1stチームに選出され、さらにビッグイーストカンファレンスの最優秀選手に選ばれました。

そして大学卒業後アレンは1996年ドラフト、全体5位でミネソタ・ティンバーウルブズに指名されましたがすぐにトレードされミルウォーキー・バックスでNBAキャリアをスタートさせました。1年目に13.4得点、4.0リバウンド、2.6アシストを平均し、でオールルーキー2ndチームに選出されました。また、オールスターイベントでは高い身体能力が評価されスラムダンクコンテストに出場しました。2000~2001シーズンは、スリーポイントコンテストで優勝し、さらにプレーオフではバックスをカンファレンス・ファイナルに導きましたが、そのプレイオフシリーズで絶好調だったアレン・アイバーソン率いるフィラデルフィア・76ersに第7戦までもつれる激戦の末敗れ、アレンは合計6年半バックスに所属したのち、2003~2004シーズンにトレードで現在のOKCサンダーの前身のシアトル・スーパーソニックスへ移籍しました。

2004~2005シーズンにはチームメートのラシャード・ルイスと共に、チームをカンファレンス・セミファイナルへと導き、オールNBA2ndチームに選出されました。2005~2006シーズン、アレンはソニックスと5年で契約更新をし、その頃には一試合平均25.1得点を記録しリーグを代表するスコアラーへと成長していました。しかしながらチームはルイスとアレンのディフェンスが苦手なエース2人に引っ張られていたためプレイオフでは優勝することは難しいことが明白でした。

2007年のユタ・ジャズ戦では、キャリアハイとなる54得点を記録し、スコアラーとしての存在感を強めましたが怪我のため両足首を手術し2006~2007シーズンを終えました。そして次のシーズンのNBAドラフトでケビン・デュラントをソニックスが指名することがわかると、アレンは若手中心のチームになり優勝が遠ざかることを予感したのかトレードを要求し、ボストン・セルティックスに移籍することになりました。

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ボストン時代~マイアミ移籍

ボストンにトレードされたアレンはそこでケビン・ガーネットとポール・ピアースという当時のNBAでトップ10に入る選手たちとBIG3を結成しました。3人ともBIG3結成前のチームではエース役をしていましたがそれぞれがうまく役割を分担し、活躍の場を共有しセルティックスはBIG3結成年にいきなり優勝を達成しました。このプレオオフでアレンはシューターとして貢献し、ファイナル6試合で平均20.3得点FG50.7%3ポイントシュートは42本中22本成功と52.4%を記録し第6戦ではNBAファイナル記録の7本の3PTを沈め、ディフェンス面でも相手のエースのコービー・ブライアントをマークし彼を苦しめることに成功しました。

翌年でもアレンは好調を維持し、FGは48%、FTは95.2%を記録しチームを得点面と安定性で支えましたが、この年はカンファレンス・セミファイナルで敗退しました。2009~2010シーズンアレンは好不調の波が激しくそのせいでトレードもうわさされるようになりましたが、プレイオフにカンファレンス4位で出場しファイナルに進出しました。しかし好不調の波の激しさはここでも影響し、ファイナル第2戦では8本の3Pを決め、2年前のファイナル第6戦で自らが記録した1試合7本の3Pというタイ記録を塗り替え新記録を樹立しましたが、第3戦では2戦目が嘘のようにシュートが決まらず、結果的にレイカーズに敗れてしまいました。

2010~2011シーズン、序盤から安定した働きを見せたアレンは3Pを次々に決め、そして2月10日のホームゲーム対レイカーズ戦でついに3P通算成功数でNBA歴代1位になりました。シーズンFG49.1%3PT44.4%を記録しこれは両方ともキャリアハイの成績でした。アレンの活躍もあり、チームはカンファレンス3位でプレーオフに進み、アレンはプレイオフでも56本中32本のスリーを沈めるなど好調を維持しました。しかし怪我やトレードで失ったインサイドの駒不足を解消することはできず、チームはセミファイナルでレブロン、ボッシュ、ウェイドのBIG3を結成したマイアミ・ヒートに敗れてしまい、そしてアレンは禁断の移籍となるマイアミ・ヒートとの契約に合意しました。

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マイアミ時代~引退

アレンはシーズン中は年齢のせいかあまり調子が上がりませんでしたが、チームはBIG3に導かれファイナルに進出しました。そして歴史的なクラッチシュートを決めたファイナル第6戦、アレンは92-95の状況でレブロンが放ったシュートをリバウンドしたボッシュのパスを受け、マークが離れていた一瞬の隙をついてバランスを崩しながらも同店3PTを決めました。オーバータイムでもディフェンスで活躍し、FTでチームに得点を与え第6戦を制し、その勢いのままヒートはスパーズを下しアレンは移籍1年目に逆転優勝を成し遂げました。

翌年はスパーズにファイナルで1勝4敗のリベンジを許し、レブロンは地元キャバリアーズに移籍しヒートのBIG3は解散し、アレンはそこからプレーしない日々が続き2016年正式に引退を表明しました。また、アレンは2018年にバスケットボール殿堂入りしました。

まとめ

いかがだったでしょうか。アレンはカリーに史上最高シューターの肩書を奪われてしまいましたが、明らかに史上最高レベルのシューターであり、マイアミを救ったあのクラッチシュートはアレンが亡くなっても語られる伝説でしょう。あのシーンだけでもアレンを知らない方は動画を見てほしいとまで思ってしまうような選手でした。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!