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【選手紹介】コービーを超えるポテンシャルを秘めたSG:トレイシー・マグレディー(2/2)

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ケガに悩まされたロケッツ~引退までのキャリア

前回の記事ではラプターズで将来のコンビをビンスと組んでいた時からマジックでリーグ有数のスコアラーとして活躍していたころのマグレディーについて紹介しました。今回はマジックを去り、ロケッツを新しい活躍の場として選んだあとのキャリアについて紹介していきますが、その中で彼がいかにケガに悩まされていたかについても知っていただきたいと思います。

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ロケッツへの移籍~ケガによる転落

2004年の7月下旬、マグレディーはトレードでロケッツに放出され、そこでロケッツでの相棒となる初のアジア人ドラフト1位指名プレイヤーのヤオ・ミンと出会うことになりました。しかし、ヤオとマグレディーのデュオは2004~2005年シーズン開幕から33試合を16勝17敗と負け越しで終えました。このシーズンの12月のスパーズ戦、今でも歴代プレーにもよく紹介される35秒で13得点パフォーマンスを残しました。ロケッツは多くのメンバーをマグレディーのトレードで入れ替えておりしばらく本来の力を発揮するまで時間がかかりましたが、最終的にシーズンを51勝31敗の西の3位で終えました。この年マグレディーは25.7得点5.7アシスト6.2リバウンドを平均し、ケガのダメージが少し残っているかのようなパフォーマンスに終わりました。プレイオフでもマグレディーは記憶に残るプレーをしており、1回戦のマーベリックス戦での228cmのショーン・ブラッドリー越えのダンクは彼のもう1つの歴史的なプレーです。このようなプレーをしていたマグレディーですが最終第7戦では40点差で大敗を喫し、シリーズを終えることになりました。

翌シーズン、マグレディーとヤオの2人にはケガが相次ぎ2人が同時にプレーした試合数はわずか31試合にとどまりました。ヤオは22.3得点10.2リバウンド、マグレディーは24.4得点6.5リバウンドを平均しましたが、彼らはばらばらにプレーしていた期間が長くこのシーズンでは力を合わせられる機会が少なかったため十分に勝ち星を挙げることができず、2人のスーパースターがいながらプレイオフ進出すら逃す結果となってしまいました。

2006~2007シーズン、マグレディーは自分を苦しめていた背中のケガが自らの持ち味のスピードや爆発力に影響していると感じており、ついに医者による治療を受けることに決めました。この年マグレディーは24.6得点6.5アシスト5.3リバウンドを平均しましたが、ヤオがブレイクアウトし、平均26.8得点9.7リバウンドを記録したことでチームの1番手はヤオに変わっていました。ヤオはケガによる離脱が続いていましたが、その間マグレディーが踏ん張ったことでなんとかプレイオフに進出することができ、1回戦でジャズと対戦することになりました。マグレディーもヤオもレギュラーシーズン異常を数字を記録していましたが、第7戦でまたしても敗退してしまい、このシリーズの前に「ここで勝てなかったらそれは自分の責任だ」と語っていたマグレディーは感情的になりながら会見をしており、完全に打ちのめされているマグレディーは見ていてつらかったです。

翌年、ロケッツはヤオがいないながらもシーズンを22連勝でスタートし、これは当時歴代2番目の連勝記録でした。このランの期間にマグレディーは「今までで1番信用できるチームメートたちがいる」とチームへの信頼を明らかにしており、前年にプレイオフを逃したロケッツは5位でプレイオフに進出しました。しかし、マグレディーはプレイオフ前に肩と膝のケガを治療しており、何とかプレーすることができましたが1回戦でまたしてもジャズの前に敗れました。

2008~2009シーズン、マグレディーはプレイオフの敗戦後に左肩と左膝の関節鏡下手術を受け、18試合を欠場し復帰しましたが膝のケガが完治しておらず再度手術を受けることになり残りのシーズンを欠場しました。度重なるケガでマグレディーの身体能力は落ち始めており、このシーズンのマグレディーは15.6得点まで平均得点を落としました。この年のロケッツはマグレディーなしで衝撃的な快進撃を見せ、1回戦を突破し2回戦では最終的に負けてしまいますが、この年のチャンピオンのレイカーズを第7戦まで追い詰めました。翌年マグレディーは復帰することができましたがまともにプレーすることができずベンチに座っている時間が増え、チームはマグレディーをニックスへトレードすることに決めました。

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チームを転々とした元スター~引退

シーズン途中の2月18日マグレディーはニックスへトレードされました。元スターのメンターとしての活躍を求められたマグレディーは26分の出場で9.4得点3.7アシスト3.9リバウンドを平均しそこそこの結果を残すことができましたが、チーム要望に沿うことはできず次のシーズンにはピストンズを契約を結ぶことになりました。しかしピストンズでは思うような結果を残すことができず、2012年には中国リーグへの移籍をすることになりました。

中国リーグではNBAのスターであったマグレディーは頭一つ抜けており、チームは最下位に沈みましたが、マグレディー個人は25得点5.1アシスト7.2リバウンドを平均しました。その活躍を見たスパーズはマグレディーがまだNBAで貢献することができると判断し、マグレディーと新しく契約を結ぶことにしました。

そして2013年の4月にマグレディーはスパーズと正式に契約を結ぶことができ、ついに自分が健康な状態で1回戦を突破することができ、優勝は逃しましたが最後の最後に2回戦の呪縛から逃れることができました。

まとめ

いかがだったでしょうか。正直同じカテゴリーに入るペニーよりもマグレディーはケガに悩まされ、なおかつプレーオフで結果を残すことができなかったので、健康でチームメイトにもっと恵まれていたらどうなっていたかを想像してしまう選手としてのイメージが強くなってしまいます。しかし、ロケッツでの伝説の35秒で13得点やショーン・ブラッドリー越しのダンク、マジック時代の得点王時代などインパクトのある選手だったことは間違いありません。歴代プレーに彼のプレーが紹介され続ける限り彼を忘れてしまうことは無さそうですが、彼の偉大さを全体的にみる人は確実に少なくなっており、それは少し悲しいことです。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!