【選手紹介】アジア史上最強のNBAプレイヤー:ヤオ・ミン(3/3)
優勝に手が届かなかったアジアバスケ界のヒーロー
前回の記事で紹介した範囲ではケガに悩まされ、1度はオールスター選手でなくなってしまった時期からケガから復帰してオリンピックで圧倒的な成績と支配力を残したヤオのキャリア中盤について紹介しました。この時期のロケッツはヤオとマグレディのリーグ屈指の才能を誇るデュオを中心として確実に優勝する可能性を持つチームを作り上げていました。今回はケガによってついには優勝を成し遂げることができなかったヤオの無冠のキャリアについて紹介しています。
復活の巨人~1回戦突破
北京オリンピックでの大活躍を終えたヤオは来る2008~2009シーズンに挑みました。ヤオはこのシーズンを健康的に過ごして77試合に出場しました。これは2004~2005シーズン以降初めての70試合以上出場であり、これの結果はロケッツが今年こそNBAを制することができるのではないかとファンに強く感じさせました。度重なる足のケガによってヤオの身体能力は全盛期のそれと比べると衰えてしまっていましたが、それでも恵まれた体格と高いスキルを活かしてゴール下で大きな存在感を放っていました。このシーズン、ヤオは平均19.7得点9.9リバウンド2.0ブロックを記録しオールNBA3rdチームに選出されました。このシーズン中盤の2月にマグレディがシーズン全休となるケガを負ってしまいましたが、シェーン・バティエ、ルイス・スコラ、メッタ・ワールドピース(ロン・アーテスト)などの選手がチームに大きく貢献し53勝29敗の好成績を記録してプレイオフに出場しました。ロケッツには平均得点が2桁を超えている選手が6人もおり、このロケッツのチームには大きな期待が寄せられました。
プレイオフでは1回戦でブレイザーズと対戦しました。ブレイザーズとの試合でヤオは多少調子が上がらず平均15.8得点10.7リバウンド1.2ブロックを記録しオフェンスとディフェンスの両方でインパクトが落ちました。しかしこの年のロケッツには彼の不調を支えられる選手が多くおり、スコラが平均16.2得点6.7リバウンドをアーロン・ブルックスが平均15.7得点4.3アシスト3.2リバウンドを記録してチーム一丸となって4勝2敗で1997年以降初めての1回戦を突破することができました。
ヤオにとって初めての2回戦となったこのシリーズ、対戦相手はコービー、ガソル、オドムの3人のBIG3を擁し、優勝候補本命とされていたレイカーズでした。レイカーズホームで始まったこのシリーズでヤオは第1戦で28得点、ブルックスは19得点、ワールドピースは21得点を記録しまたしてもチームでの勝利をつかみ取りました。しかし第2戦ではコービーが40得点、ガソルが22得点14リバウンドでロケッツを圧倒し、第3戦ではコービーの33得点、オドムの16得点13リバウンドの前に敗れシリーズを1勝2敗で折り返しました。その後ロケッツは予想外の最終第7戦までシリーズを持ち込みましたが、第3戦でヤオは足首を負傷し離脱していたことでここぞという時に頼れる柱を失ってしまい7戦でシリーズ敗退を喫しました。
スターからの転落~早すぎる引退
NBAキャリアで初めて1回戦を突破しながらも足首の負傷で離脱してしまったヤオは悔しい気持ちを抱えながらも復活のために足首の手術を受けることを決断し2009~2010シーズンを全休しました。
そして2010~2011シーズンに手術を終えてリハビリを乗り越えたヤオはNBAのコートに帰ってくることができましたがマグレディをケガによって放出してしまったロケッツはヤオに同じような道を歩ませることを恐れたのか最大24分までのプレータイムの制限を設け、連戦には出場させないことを決定しました。しかしその対策もむなしくヤオは12月中旬に左足首を疲労骨折してしまいそのままシーズンを全休することになってしまいました。5試合のみのプレーでシーズン全休が決まってしまったヤオですが、18分間のプレータイムで平均10.2得点5.4リバウンド1.6ブロックを記録していた彼の影響力はやはり印象的であり、オールスタースターターに選出されました。ケガをしていたのでプレーはしませんでしたが、ヤオは全休した2010年以外のすべての年でオールスターに選出されました。
そしてこのシーズンが終わった年にヤオはFAとなりましたが、彼のケガのリスクを考慮したチームが彼の獲得に動くことはなく、そのままヤオ6月20日に引退を表明しました。2016年にはバスケットボール殿堂入りを果たし、その輝かしいキャリアをさらに輝かしくしました。
まとめ
いかがだったでしょうか。ヤオはケガのせいでキャリアが非常に短命で終わってしまった選手ですが、デビューからシーズン全休をした2010年を除いてすべてのとしてオールスターに選出されるほどの実力と人気を兼ね備えていました。クリス・ボッシュと同じようにケガや病気が原因となる引退はもしこれがなかったらと想像されることが多いですが、ヤオはケガさえなければ本当にアジア人初のNBAチャンピオンになることができていたと思います。
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