【選手紹介】史上最強の必殺技を編み出したセンター:カリーム・アブドゥル=ジャバー(3/3)
史上最高レベルの個人達成度を残した歴代センター
前回はカリームが個人としてスターレベルでプレーしながらも優勝できるメンバーをそろえることができなかったバックスを去り、バックスとは正反対の大都市のチームであるレイカーズに移籍してからの序盤シーズンについて紹介しました。カリームは移籍してすぐにシーズンMVPを受賞しましたが、レイカーズで初めて出場したプレーオフでは惜しくもNBAファイナルで敗退してしまいました。今回は史上最多の6度のシーズンMVP受賞と41歳までプレーし6回の優勝を成し遂げたレジェンドのキャリア終盤について紹介していきます。
プレーオフで勝ち抜けない時期~新たな相棒の到来
昨年ブレイザーズにファイナルでスウィープで敗退してしまった悔しさを胸に新シーズンに挑んだカリームでしたが、1977~1978シーズンの開幕戦のわずか2分で右手を骨折してしまいました。1975年にもカリームは同じ手を骨折しており、回復に時間がかかり彼は復帰までに約2か月をかけることになります。カリームが開幕戦から2カ月プレーしていなかったことでチームは8勝13敗と負け越しており、プレー機会が少なかったことで実力は申し分なかったもののオールスター選出を受けることはありませんでした。引退後に明らかになりますが、彼がキャリアでオールスター選出を受けなかったのはこのシーズンのみでした。しかしこのオールスター選出を逃したことが彼のパフォーマンスに火をつけ彼はロスター発表があった日のシクサーズとの試合で39得点20リバウンド6アシスト4ブロックを記録し、オールスターブレイク前のネッツとの試合でも37得点30リバウンドを記録してチームを勝利に導きました。
このように彼はいまだに個人としては圧倒的な選手として活躍しており、このシーズンの終わりにはオールNBA2ndチームとオールディフェンシブ2ndチームに選出されたものの、チームはやはりスターパワーに欠けておりプレーオフではスーパーソニックスに1回戦で敗れました。そして再びプレーオフに挑んだ1978~1979シーズンにも2回戦でスーパーソニックスに敗れカリームというスター選手を擁しながらも勝つことができないレイカーズはこの年のドラフトでもう1人のレジェンドを獲得することになります。
最後のシーズンMVP~レイカーズの王朝時代
1979年、バードとマジックの2人の大学スター選手がいたNBAドラフトでチームをコントロールでき、カリームとコンビを組むことができるハンドラーを求めていたレイカーズは1位指名権を使ってマジックを指名しました。この氏名がチームを大きく変えることになり、マジックのアップテンポなバスケットボールと天性のアシスト能力はカリームをさらに止められない選手へと押し上げました。1979~1980シーズンのカリームはFG60.4%のキャリア最高シューティングパーセンテージを残し、24.8得点10.8リバウンド4.5アシスト1.0スティール3.4ブロックを記録しキャリア6度目で最後のシーズンMVPを受賞しオールディフェンシブ1stチームに選出されました。32歳と全盛期の終盤に入っていたカリームはジャマール・ウィルクスとマジックの2人のスターを得たことでプレーしやすくなっており、プレーオフでは31.9得点12.1リバウンド3.1アシスト1.1スティール3.9ブロックを平均し、圧倒的なパフォーマンスで8年ぶりのNBAチャンピオンに輝きファイナルMVPを受賞しました。
翌シーズンはマジックが45試合を欠場し、その間もカリームはチームを支えるべく奮闘しましたが、マジックの調子がプレーオフでも戻ることはなく、1回戦でロケッツに敗れてしまいました。
カリーム、マジック、ウィルクスと確実なBIG3がいながらも連覇することができていなかったレイカーズでしたが、マジックが完全復活した1981~1982シーズンはプレーオフファイナルのシクサーズ戦での2敗以外はすべて無敗でシリーズを突破しました。34歳になっていたカリームはパフォーマンスが落ち始めていたもののマジックのプレーメイキングに助けられ、20.4得点8.5リバウンド3.6アシスト1.0スティール3.2ブロックを記録して3度目の優勝を成し遂げました。
翌シーズン、翌々シーズンはシクサーズとセルティックスに敗れ優勝から遠ざかってしまったシーズンになりました。プレーオフでは負けてしまったものの、レイカーズにはディフェンシブガードのマイケル・クーパーや身体能力の高い高身長プレーヤーのボブ・マカドゥーが所属しており、ウィルクスがいたときよりもむしろチームとしてのバランスは良くなっていました。
最後のファイナルMVP~6度目の優勝と最後のシーズン
2年連続でプレーオフファイナルまで進出しながらも惜しくも優勝を逃してしまったレイカーズとカリームでしたが、1984~1985シーズンにはマジックを中心としてフリースタイルにプレーを展開する戦略がチーム全体に浸透し、HCのパット・ライリーも彼にプレーメイキングを任せきっていたことでマジックが選手として1段階成長しました。カリーム自身は37歳になっており、選手としては正直下降線に入っていましたがプレーオフでは34歳の自分を超える21.9得点8.1リバウンド4.0アシスト1.2スティール1.9ブロックを平均し、ライバルのセルティックスを破って優勝を成し遂げました。さらに驚くべきことに彼は37歳ながら優勝に最も貢献した選手としてマジックを抑えてファイナルMVPに選出されました。
翌シーズンはロケッツに敗れて連覇することはできませんでしたが、1986~1987、1987~1988シーズンにようやく連覇を達成することができ、カリームは継続的に優勝に貢献できる選手だということを証明することができました。そして連覇を達成した翌シーズンに彼は引退を表明し、41歳で19年の長いNBAキャリアに幕を閉じました。
まとめ
いかがだったでしょうか。カリームは19年の長いキャリアで18回のオールスターに選出され、6度の優勝とシーズンMVP、若い時期と高齢になってからの2回のファイナルMVPを受賞し、15回のオールNBAチームと11回のオールディフェンシブチームに選出されました。彼の受賞歴は時代のせいで少し過大評価されたものかもしれませんが、それでも41歳でもオールスター選手として活躍することができる彼の実力は本物でしょう。
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