【選手紹介】プレーした時期に恵まれなかった史上屈指のダンカー:ドミニク・ウィルキンス(3/3)
タイミングとケガによってキャリアが変わったスター選手
前回の記事では強力なチームメイトを得たころからケガから復帰したウィルキンスのキャリア中盤について紹介しました。ウィルキンスはマローンという新たな相棒を得ました。しかしそれでもウィルキンス自身のプレイオフでの不調や周囲のチームのレベルが急上昇したことでプレイオフ2回戦を突破することはできませんでした。そしてマローンがチームを去った後にウィルキンスに最悪のケガが起こってしまい、何とかスターとして次のシーズン復帰しましたがそれでもチームは優勝を目指せるチームになることはできませんでした。今回はキャリアの大半を尽くしたチームから放出された後のキャリア終盤について紹介していきます。
クリッパーズへの放出~ヨーロッパでの挑戦
NBAに入ってから11年と半年間の間ホークスに尽くしたウィルキンスでしたが、アキレス腱断裂を負い11年もの間プレイオフで期待された結果を残すことができなかった彼は1994年の2月にクリッパーズへトレードされてしまいました。このトレードが起こるまでにウィルキンスは平均24.4得点6.2リバウンドを記録しており、チームもカンファレンスでトップの成績を残していました。しかしシーズンの終わりには35歳になり契約が切れるケガのリスクの高いスター選手をキープすることに不安を感じたホークスは戦略的に彼をクリッパーズへ放出しました。ウィルキンスはホークスにいた期間で通算23,292得点を記録し、チーム史上トップの合計得点を残した選手になりました。
このトレードが起こったシーズン終了後クリッパーズはホークスと同じ理由で彼を再契約することはせず、ボストンがウィルキンスをFAとして新たに契約を締結しました。ボストンでは1シーズンのみプレーし、平均17.8得点5.2リバウンドを記録しました。しかしながら明らかにケガと年齢の影響がパフォーマンスに出ており、再建中だったボストンでプレーすることに不満だった彼は1994~1995シーズンの終わりにヨーロッパでプレーすることを決心します。
NBAでのシーズンを終えギリシャリーグのパナシナイコスアテネと契約を結んだウィルキンスは35歳ながら平均33.2分プレーし20.1得点7.4リバウンドを記録しました。NBAでの経験とリーグ内ではまだまだ最高峰のレベルだった身体能力を使ってチームをユーロリーグのチャンピオンに押し上げました。ウィルキンスはこの大会でファイナルMVPに輝き、ギリシャリーグのチャンピオンシップでもチームが敗戦しながらも個人の圧倒的な活躍が評価されファイナルMVPを受賞しました。NBAでのキャリアを諦めていたウィルキンスでしたが、この活躍を見たスパーズが彼をピックしウィルキンスは再びNBAでプレーするチャンスを得ることができました。
再び得たチャンス~最後まで報われなかったキャリア
1996~1997シーズン、ヨーロッパで確かな実績を残してスパーズの一員としてNBAに復帰したウィルキンスは36歳ながら18.2得点を平均しチームトップの得点を残しました。ベテランとしてチームの精神的支柱として活躍しながらも一番のスコアラーとして活躍しましたが、彼の奮闘もむなしくチームは20勝62敗に沈み勝利を求めていた彼はこのシーズンの終了後に再度海外でプレーすることを選びました。
今度はイタリアリーグのボログナというチームと契約したウィルキンスは34試合に出場し平均33.5分のプレータイムで17.8得点7.3リバウンドを平均しました。そしてシーズン終了後にまたしてもマジックと契約をしNBAに復帰したのを最後にウィルキンスはNBAから引退しました。
まとめ
いかがだったでしょうか。ケガをしてからもスター選手として活躍しマジックとのシーズン以外では平均得点が17得点を下回ったシーズンはありませんでした。NBA制覇を成し遂げることはできませんでしたが、アキレス腱断裂のケガを乗り越え最後まで年齢にあらがってプレーを続けたウィルキンスのバスケットボールに対する姿勢は尊敬できるものです。
このブログではNBAの歴代選手や歴代チームについて紹介しています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!