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【選手紹介】コービーを超えるポテンシャルを秘めたSG:トレイシー・マグレディー(1/2)

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ケガによってキャリアを狂わされたスーパースター

NBAの歴史には数多くのスーパースターが存在しますが、その中にはケガさえなければもっと素晴らしいキャリアを残していただろうと容易に予想がつく選手も存在します。以前紹介したペニー・ハーダウェイや今回紹介するトレイシー・マグレディーはまさにそのような選手の代表的な存在であり、彼らのような選手たちのキャリアはケガや病気など様々な理由でもったいないと感じるものになってしまっています。今回は2004年スパーズ戦の35秒で13得点が有名なポテンシャルの塊だったスーパースターのトレイシー・マグレディーについて紹介していきます。

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ラプターズの未来のコンビ~チームとビンスへの裏切り

1997年ドラフトでマグレディーを指名したラプターズは、翌年1998年ドラフトでマグレディーの従兄弟のビンス・カーターを指名しました。マグレディーはHCのダレル・ウォーカーになかなかプレータイムを与えてもらうことができず1年目のシーズンを平均13分のプレータイムで終えました。しかし、この扱いが彼にとって大きな屈辱になり、彼はより練習に熱を入れることを条件により多くのプレータイムを得ることを新HCのバッチ・カーターと約束し、実際に練習により熱心に打ち込むようになりました。

そしてカーターをチームに加えた1998~1999シーズン、マグレディーは大きく成長することはなかったものの1年目からスター候補として活躍していたビンスの影響によってラプターズは一躍人気チームとなり、試合が全米で放送されるまでのチームになりました。しかしチームはプレイオフに進出するほど成長することはできず、マグレディーとビンスのコンビの1年目は残念な結果に終わりました。

翌年、ビンスは25得点を平均するスーパースターとして、マグレディーはそんなビンスを裏で支える2番手でありながらシックスマンとして15.4得点を平均するようになり、ビンスはオールスターに選出され、マグレディーはシックスマン賞の候補になりました。そしてこの年チームはついにプレーオフ進出を果たし、ニックスにスウィープされてしまいましたが、将来を期待させるコンビの成長はファンの期待を背負うことになりました。しかしスターに成長しかけていたマグレディーの感情はビンスの裏側に隠れたくないというものに変わり、マグレディーはビンスとチームを裏切る形でマジックに移籍することになりました。

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マジックへの移籍~2度の得点王シーズン

ルーキー契約を終えたマグレディーは次世代のマイケル・ジョーダンとまで呼ばれたことのあるグラント・ヒル、移籍が噂されていたスーパースターのティム・ダンカンとプレーするためにマジックに移籍しました。ダンカンを獲得することはなかったので夢のようなトリオが実現することはなかったですが、ヒルとマグレディーのデュオはリーグの注目を集め、希望通りにチームの中心になることができたマグレディーはマジックで選手として大きく成長することになりました。マジックに移籍した1年目、マグレディーはバックスのGMのアーニー・グランフェルドに「リーグでトップ5に入る才能」とまで評価されました。そしてその言葉通りに、26.8得点4.6アシスト7.5リバウンドを平均し、オールNBA2ndチームとMIPに選出されました。もちろんプレイオフに出場しましたが、1回戦でバックスにスウィープされ、マグレディーのブレイクアウトシーズンは終わりました。

2001~2002シーズン、マグレディーはまたしてもオールNBAチームに選出され、オールスターゲームでは有名なバックボード裏からの1人アリウープを決めました。マグレディーの身体能力とスキルセットのコンビネーションはリーグトップクラスに止めにくいプレースタイルを生み出しており、マグレディーがスーパースターなのは明白でしたが、この年も2年連続で1回戦をスウィープ負けで終えることになりました。

翌年、マグレディーはさらに得点力を伸ばし、32.1得点5.5アシスト6.5リバウンドを平均し、初めての得点王になり、MVP投票ではキャリア最高の4位になりました。ESPNは後にマグレディーのこのシーズンを「ペリメーター主体の選手として最高のシーズン」として評価しており、このことからも全盛期のマグレディーがいかに止められない選手だったかがわかります。そしてこの年のプレイオフ、マグレディーは圧倒的な個人での活躍で1位シードのピストンズ相手に3勝1敗のリードをとるまでチームを引っ張りました。しかしここで油断したのか試合後のインタビューで「2回戦に進むことができて良かった」と早とちりの発言をし、この発言をきっかけにシリーズの流れが変わり、マジックはここから大逆転負けを喫し、またしても1回戦を突破することができませんでした。

そして屈辱のシーズンを終えて迎えた2003~2004シーズンマジックはいきなり1勝10敗のスタートを切り、これがきっかけでマグレディーとGMのジョン・ウェイスブルードとの関係悪化が報道されるようになりチームの雰囲気が悪化していきました。また、この年からマグレディーは度重なるケガに悩まされるようになり、それでもチームを支えるエースとしてプレーし続けたマグレディーは28.0得点5.5アシスト6.0リバウンドを平均し、2年連続で得点王になりました。しかしながらチームの成績はマグレディーとヒルのケガに大きく影響され、東で最下位になりプレイオフに出場することはできませんでした。

まとめ

いかがだったでしょうか。マグレディーは2年連続で得点王を受賞するなど個人としては圧倒的な実力を示しており、リーグトップクラスのスーパースターだったことは明らかでしたが、チームメイトに恵まれなかったり相棒がケガで離脱したりと、責任を取る場面が多く、1人相撲のプレーが多くなるあまり負担がかかりケガに悩まされるキャリアを歩むことになりました。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!