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【選手紹介】歴代最高のPG:マジック・ジョンソン(1/3)

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歴代最高PG:マジック・ジョンソン

マジック・ジョンソンといえば、1年目にファイナルMVPを受賞し、ベテランになったカリームと共に優勝をしたり、「ショータイム・レイカーズ」を率いてバードと優勝争いを繰り広げてNBAを盛り上げたりと歴代トップ10に入るNBA選手であり、誰に聞いても歴代最強のPGです。彼はHIV感染により全盛期真っただ中の若さで引退をした衝撃のキャリアを送った選手としても有名ですが、そんな彼のキャリアはどのようなものだったのでしょうか。今回はマジック・ジョンソンのキャリアについて紹介していきます。

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大学時代~衝撃のルーキーシーズン

大学に入学する前から全国的に有名だったマジックはインディアナ大学やUCLA大学など数多くの名門大学からスカウトを受けていたにもかかわらず、ジャド・ヒースコートにPGとしての才能を見出され、自宅から近いミシガン州立大学への進学を決めました。マジックは初めはプロとしてバスケをすることには興味はなく、TVのコメンテーターとして将来は働きたいと考えていました。マジックは将来のNBAドラフト候補生になるプレーヤー4人とプレーしながら1年生として17.0得点7.4アシスト7.9リバウンドを平均し、25勝5敗の成績に導きNCAAトーナメントではベスト8まで進出しましたが、最終的にトーナメント優勝を成し遂げるケンタッキー大学に敗れ1年目のシーズンを終えることになります。

翌年1978~1979シーズン、マジックは17.1得点7.9アシスト7.6リバウンドを平均しチームはNCAA決勝まで進出しここでマジックは生涯のライバルとなるラリー・バードと対戦します。試合はマジックがダブルチーム、時にはトリプルチームを受け完全に封じられ、チームの中心を失ったミシガン州立大学はバード率いるインディアナ大学に敗れてしまいました。しかしながら、マジック自身はNCAAベスト4チーム最優秀選手に選ばれ、オールアメリカン1stチームにも選出され、1979年NBAドラフトで1位でレイカーズに指名されることになります。

マジックをドラフトしたレイカーズは圧倒的な身長とスキルを持ったセンターのカリームがいましたが、彼は全盛期を完全に過ぎた選手でありカリームがいながらチームは優勝することができていませんでした。レイカーズはマジックが優勝をもたらしてくれることを信じ、周囲がフォワードとしてプレーすべきだと言っているのに反して彼の1番得意なPGをプレーさせることを決断しました。その結果、彼は18.0得点7.3アシスト7.7リバウンドを平均し、オールルーキー1stチームに選ばれ1年目選手ながらオールスターのスターターにも選出されるほどの活躍を残しました。チームを60勝22敗に導いたマジックの初出場となったプレイオフでは18.3得点9.4アシスト10.5リバウンド3.1スティールとさらにスタッツを伸ばしカリームが欠場したファイナル第6戦ではセンターをプレーし、チームを優勝に導き1年目選手として優勝を主導しただけでなく、ファイナルMVPを受賞するという偉業を成し遂げました。

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2年目シーズン~激動の時代

1年目にいきなり優勝をファイナルMVP受賞を成し遂げたマジックは1980~1981シーズンの途中にケガをし、合計48試合を欠場しました。マジック自身が「人生最悪の時期」と評したケガを必死の思いでリハビリをして乗り越え何とかプレイオフ1回戦に間に合わせましたが、マジックなしでシーズンの大半を戦ったチームにスーパースターのマジックが戻ってきたことでチームは調子を落とし、シーズン40勝のロケッツ相手に予想外の番狂わせを食らい1回戦で敗退してしまいました。

オフにチームとマジックは25年契約を結びましたが、当時のHCだったポール・ウェストヘッドはマジックを「マジックはチームの動きを遅くし、予想しやすくしている」と批判し、この発言がきっかけでマジックはチームにトレードを要求しましたがマジックを手放すわけにはいかなかったレイカーズはすぐにウェストヘッドを解任し、代わりにパット・ライリーをHCとして雇用しました。しかしチームの意向とは裏腹にリーグはおろかレイカーズのファンもマジックを痛烈に批判していました。そんな声に惑わされることなくマジックは18.6得点9.5アシスト9.6リバウンド2.7スティールを平均し、1シーズンで700得点700アシスト700リバウンドを記録した唯一の選手になりました。そしてこの年マジックは初のオールNBAチーム選出を受け、3年目選手ながらオールNBA2ndチームに選ばれました。プレイオフファイナルでマジックは再びシクサーズと対戦することになりましたが17.4得点9.3アシスト11.3リバウンド2.9スティールを平均し、特に第6戦ではトリプルダブルを記録しチームを優勝に導き2度目のファイナルMVPを受賞しました。

1982~1983シーズン、マジックは初の平均ダブルダブルシーズンを残し、16.8得点10.5アシスト8.6リバウンド2.2スティールを平均しました。マジックはこの年初めてのオールNBA1stチームに選ばれ、この年から1991年まで9年連続で同選出を受けることになります。プレイオフファイナルではまたしてもシクサーズとのカードになりました。マジックは19.0得点12.5アシスト7.8リバウンド2.3スティールを平均し奮闘していましたが、チームはあえなく敗れマジックのオールNBA1stチームシーズンは残念な形で終わりました。

まとめ

いかがだったでしょうか。マジックは鮮烈なルーキーデビューを果たし、そのあとも継続して活躍していましたが、この時期に連覇がないのは意外だと思い人も多いのではないでしょうか。次の紹介記事ではマジックのキャリア中期について紹介していきますので楽しみにしておいてください。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!