【選手紹介】史上最悪のケガを乗り越えたNBAチャンピオン:ショーン・リビングストン(1/2)
最悪のケガを乗り越えた最高のロールプレイヤー
YoutubeでNBA史上最悪のケガと調べるとほぼ確実にヒットする膝のケガを負ってしまったショーン・リビングストン。彼は高身長ながら高い身体能力とアシスト能力を持ち合わせており、若いときには「マジック・ジョンソンの再来」と呼ばれるほど期待をされた選手でした。しかしながらその未来は先ほど紹介したケガによって実現することはありませんでした。それでも彼は史上最も感動的な復活を果たして見事にNBAチャンピオンに輝いた選手です。今回は大ケガを乗り越えて栄光をつかんだショーン・リビングストンのキャリアについて紹介していきます。
才能に溢れた高卒ルーキー~最悪のケガ
高校を卒業したリビングストンは進路を考えるときに初めはデューク大学への進学を考えていました。しかし、大学に進学せずに高卒選手として2004年NBAドラフトにエントリーすることに決めました。彼は全体4位という高順位で、将来にチームを支える若手PGを探していたクリッパーズから指名を受けました。高身長を活かしたプレイメイキングに強みを持っていたリビングストンですが、チームにはサム・キャセールがいたため、リビングストンはSGとしてプレーすることになりました。高卒選手で高身長ということで、大きな負担に耐えることができないと判断したチームは彼の試合数を強く制限し、彼はデビューしてからの2年間で91試合しかプレーすることができませんでした。しかしその2年間で6.3得点4.7アシストを平均していたリビングストンには明らかに高いポテンシャルが見られ、ファンも彼がドラフト前通りのマジック・ジョンソン2.0に成長することを強く望んでおり当時はそれも不可能ではないように思えました。
そして3年目のシーズン、リビングストンは54試合を終えた時点で9.3得点5.1アシスト3.4リバウンドを平均しており、いずれのスタッツでもキャリアハイを記録していました。しかし残念なことにこのブレイクアウトシーズンの途中に彼をどん底まで突き落とすほどのケガが起こってしまいました。それはレイアップをした後の着地の際に彼の膝があらぬ方向に曲がってしまい、ACL,LCL,MCLという膝の靭帯をすべて断裂、もしくは損傷してしまうといったものでした。このケガによって彼は残りのシーズンと翌年も全休することになり、復帰する頃にはクリッパーズとの契約を切れておりこのあと彼はNBA下部のリーグを含めた数々のチームを渡り歩くことになりました。
復帰を目指す日々~サポート選手としての自己の確立
2007年に膝の大けがを負ってしまったリビングストンは復帰を目指してリハビリに取り組んでいましたが彼が復帰できるほどに回復したころにはクリッパーズとの契約が既に切れていました。いくらポテンシャルが高いといっても膝の靭帯すべてを損傷した選手にクリッパーズは新しい契約を渡すことはなく、2008~2009シーズンにリビングストンは次のチームとしてヒートと契約をしました。やっと安心できる状況になった彼でしたが、わずか4試合のみのプレーでグリズリーズにトレードされ、そこでは1試合もプレーさせてもらえずに解雇されてしまいました。すでにクリッパーズ、ヒート、グリズリーズと3つのチームに見放されたリビングストンでしたが、彼は復帰を諦めずにOKCサンダーの下部チームと契約をし3週間後の3月末にはサンダーとの本契約までこぎつけました。しかし膝のケガによって全開のプレーを無意識にできなくなっていたのか彼はサンダーが期待していたほどの結果を残すことができず、リビングストンは2009年12月下旬にサンダーからも解雇されてしまいました。
2009~2010シーズンの2月下旬に、ウィザーズと10日間契約を結び、本契約をもらったリビングストンでしたが、再契約をもらえるほどの活躍を残すことができず、そうシーズンの6月にはボブキャッツ(現ホーネッツ)と2年契約を結びました。弱小チームのボブキャッツで心機一転活躍することが期待されていたリビングストンでしたが平均6.6得点2.2アシスト2.0リバウンドという微妙な結果に終わり、彼は7月下旬にバックスへトレードされました。バックスでは58試合に出場しましたがやはりここでも期待されるような選手として爆発することができず、この頃には年齢も高くなっていた彼はすでに「終わった選手」として扱われるようになっていました。
このあとロケッツ、ウィザーズ、キャバリアーズと5年間で合計8チームをたらい回しにされた彼は最後のチャンスとして、ブルックリン・ネッツでデロン・ウィリアムスのバックコートメート(初めはただの控えPG)としてプレイするチャンスを得ました。最初は期待されていませんでしたがそのプレッシャーのなさが彼の精神的な負担を和らげたのか、彼はこの年ディフェンス面で活躍しチームで3番目にチームに貢献したディフェンダーとして評価されました。また、彼の強みでもあるアシスト能力とミッドレンジジャンパーも効果的に働いており、リビングストンは一気に優秀なサポート選手という評価を得ることができ、翌シーズンの契約を得ることができました。
まとめ
いかがだったでしょうか。リビングストンはドラフト前に期待されるほどの選手になることはできませんでしたし、むしろその逆で最悪のキャリアを送っていた選手でした。しかし彼の復帰への飽くなき意欲と継続的な努力が実を結びネッツでの復活、そして次の記事で紹介するウォリアーズでのキャリア最終期へとつながることになりました。彼の粘り強さや目標への熱意はバスケットボール選手としてではなく、1人の人間として尊敬すべきものであり、是非知ってもらいたい選手です。
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