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【選手紹介】晩年に報われた万能PG:ジェイソン・キッド(1/3)

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チームを強くする絶対的な司令塔

5回のオールNBA1stチーム、4回のオールディフェンシブ1stチーム、5回のアシスト王など数々の賞を受賞し、その万能性が光るキャリアを送ったジェイソン・キッド。彼はリーグでも屈指のPGであり、行くチームを強くするという絶対的な力を持つ選手でありながらも優勝とは縁がなく、晩年にマーベリックスでようやく優勝することができました。今回はそんなキッドのキャリアの初期について紹介していきます。

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大学時代~迷惑な選手

高校時代から有名な選手だったキッドには多くの大学からリクルートが来ていました。そしてその中から彼は決して強豪ではないカリフォルニア大学バークレー校に進学しました。大学1年目のシーズン、キッドは13.0得点7.7アシスト4.9リバウンド3.8スティールを平均し、全米新人王とオールパック10チームに選出されました。彼の1シーズン110スティールはNCAAの新人記録で、220アシストは大学記録でした。キッド率いるチームはNCAAトーナメントで2回の番狂わせを起こし、ベスト16まで進出しました。

翌年、さらに成長したキッドは16.7得点9.1アシスト6.9リバウンド3.1スティールを平均し、全米で最もアシストをした選手になりました。キッドはオールアメリカン1stチームに選出され2年目選手としては史上初のパック10最優秀選手にも選出されました。しかしNCAAトーナメントでは今度は自分たちが番狂わせで敗退しキッドは優勝することなく、NBAドラフトにエントリーすることになりました。

1994年、キッドは全体2位でマーベリックスに指名されました。1年目のシーズン、彼は11.7得点7.7アシスト5.4リバウンドを平均し、新人選手ながらすでにトリプルダブルの数ではリーグ1位になっていました。そしてこのシーズンキッドとグラント・ヒルは2人同時受賞で新人王に選出されました。前年13勝69敗という成績を残していたチームはキッドが加入したこの年36勝46敗と大きく成績を伸ばし、この時からキッドはチームを強くすることにおいてリーグで最強のPGとして活躍していました。

翌年、キッドは2年目選手ながら「ベースボールパス」でファンの間で知られており、オールスタースターターに選出されました。ジム・ジャクソンとジャマール・マッシュバーン、そしてキッドの「3 J's」と呼ばれる若手トリオは将来のマーベリックスを背負う存在として見られていましたが、マッシュバーンがケガで離脱したことにより関係が悪化し、それに加えキッドの女性問題によりチームの雰囲気が少しずつ壊れていきました。そしてチームはこれ以上キッドをプレーすることは難しいと判断し、わずか2年で将来のエースをサンズへトレードすることになりました。

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新天地への移籍~勝てない万能選手

1997~1998シーズン、キッドはナッシュ、ケビン・ジョンソン、レックス・チャップマンの4人のガードを同時にプレーする超速攻特化型のスモールボールチームを司令塔として牽引し、前年より16勝勝利数を増やし56勝26敗までチームの成績を伸ばしました。

そして翌年キッドは7試合でトリプルダブルを記録し、彼がトリプルダブルを記録した試合ではすべて勝利しました。またこれはリーグでトップの回数でした。16.9得点10.8アシスト6.8リバウンド2.28スティールを記録し、アシストはリーグトップ、リバウンドではガードとして1位、スティールはリーグで4位などと、NBAに存在する10個のカテゴリーにおいてトップ50に入るという偉業を成し遂げました。そしてこの年彼はオールNBA1stチームに初選出されました。

1999~2000シーズン、サンズはマジックからペニーを獲得しており、ペニーとキッドのコンビは「BackCourt2000」と呼ばれ大きな期待を集めました。しかし、この期待はキッドをペニー2人のケガによりかき消されてしまいました。キッドはシーズン後半に負ったケガからプレイオフ途中に復帰し、スパーズを破りこれまでのキャリアで初の2回戦進出を果たしましたが、そこで敗れ、それ以上に進むことはありませんでした。この年もキッドはオールNBA1stチームに選出され、スーパースターとしての道を歩んでいました。

翌年、キッドの妻へのDVが明らかになり、チームのケミストリーは乱れていきました。それでもチームは15勝6敗のランを作り、50勝シーズンを確実にしていました。チームはキッドによりチームの中心になることを要求し、その思いにこたえキッドはこのシーズン6回の30点越えの試合を記録しました。特に、3月の中旬には36得点、32得点、31得点を連続で記録しており、彼が完全にチームの中心になったことを示しました。チームの核となっており、この年もオールNBA1stチーム、オールスターと確実にトップクラスの選手になっていた彼ですが、チームは6月28日に彼をネッツにトレードし、キッドはまたしても自分の問題が原因でトレードされることになりました。

まとめ

いかがだったでしょうか。今回はキッドのキャリア初期について紹介しました。キッドは優秀な選手ながら個人の問題が原因でキャリアの初めを無駄にしてしまった選手です。ここまででもオールNBA1stチームやアシスト王など数多くの賞を受賞しているので、この時期から優勝候補にいたら彼のキャリアはどうなっていただろうかと想像してしまいます。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!