【選手紹介】尊敬すべき復活劇を果たした元スーパースター:グラント・ヒル(1/2)
ケガを乗り越えた元ネクストジョーダン
グラント・ヒルと言えばスーパースター、そしてネクストジョーダンとしてNBAを支配するはずだった選手でしたがケガによってその潜在能力を活かしきることができずにキャリアを終えた選手というイメージが強いです。実際に彼がスターとしてプレーしていた時期とケガによってパフォーマンスが落ちた時期を比べるとそこにNBAを背負う男として期待されていた選手の面影はありませんでした。しかし彼は40歳までプレーし続け、その豊富な経験とそれによって培ったスキルを活かして素晴らしいロールプレイヤーとしてチームに貢献していました。今回は自分をスターからロールプレイヤーに上手に変えて高齢までNBAで戦い続けたヒルについて紹介していきます。
大学時代~ピストンズでのスター時代
ヒルは高校時代から将来有望な選手としてその名を轟かせており、彼の母親はジョージタウン大学を、父親はノースカロライナ大学をヒルの進学先として希望していました。しかし両親の思いとは裏腹にヒルはデューク大学へ進学し、チームをNCAAトーナメントで1973年のUCLA以来の2連覇に導きました。彼は大学4年間で累計1,900得点700リバウンド400アシスト200スティール100ブロック以上を記録した史上初めての選手となり、大学史上最高の選手との評価を受けて1994年NBAドラフトにエントリーしました。
アイザイア・トーマスを中心とした「バッド・ボーイズ」以降チームの中心になれる選手を獲得できていなかったピストンズは1994年に全体3位でヒルをドラフトしました。彼は203㎝とSFとして適切な身長と高い身体能力を活かしてルーキーシーズンからリーグを驚かせるようなパフォーマンスを見せました。彼は1年目からチームの中心として活躍し、得点・アシスト・リバウンドすべての面でチームに大きく貢献しており、シーズンが終わると19.9得点5.0アシスト6.4リバウンド1.8スティールを記録しました。彼の活躍はシーズンの序盤から見ることができ、彼のスター性を高く評価したファンたちのオールスターのスターター投票は彼に集中しました。結果的に彼は129万票を獲得し、4代スポーツ史上初のルーキーとして1位の票数を得たオールスターになりました。このシーズン、ヒルの活躍も圧倒的でしたが、マーベリックスを一気に変えたキッドの活躍も高い評価を受け非常に珍しい新人王を2人同時に受賞するという光景が見られました。ヒル自身はいきなりチームのエースになる活躍を残しましたが、チームの勝利につながることはなく、28勝54敗と大きく負け越しプレイオフに進出することはできませんでした。
2年目のシーズン、ヒルはオールラウンダーとしてさらに成長し、20.2得点6.9アシスト9.8リバウンドを平均し、現代で言うところのポイントフォワードのような活躍を残しました。トリプルダブルの数もシーズンでリーグトップの10回を記録し、彼は当時のNBAで唯一とも呼べるような万能型選手でした。それが彼の魅力となり多くのファンを惹きつけ、それはオールスターの投票でも明らかであり、このシーズンも彼はファン投票で1位の票数を集めました。このシーズン、彼のオールラウンドなプレーに牽引され、46勝まで成績を伸ばしたチームは1992年ぶりにプレイオフに進出しましたが、1勝もできずにスウィープで敗退してしまいました。
翌シーズン、彼は1989~1990シーズンのラリー・バード以来の快挙を達成し、平均20得点7アシスト9リバウンド以上を平均した選手となり、この記録は2016~2017シーズンにウェストブルックがシーズン平均トリプルダブルを記録するまで破られることはありませんでした。彼はこのシーズンまたしてもトリプルダブル数でリーグトップに立ち、13回のトリプルダブルを記録しました。彼は1月の月間最優秀選手に選ばれ、リーグでも最強の選手の1人として評価されるようになっていました。このシーズン彼はプレイオフで1勝しかすることができずまたしても1回戦で敗退してしまいましたが、彼個人の力を疑う人は非常に少なくジョーダンとマローンに次いでMVP投票では3位につけました。
この3年間のシーズンを含めて1998~1999シーズンまでの5シーズン間、ヒルはチーム唯一のスーパースター選手として活躍し、レブロンにも匹敵するほどの万能性と支配力を見せつけていました。彼のオールラウンド力はすさまじく、ウィルト・チェンバレンとエルジン・ベイラーの2人しか達成していなかった1シーズンで得点・アシスト・リバウンドの3スタッツ全てでチームトップを記録するという異常な活躍を残しました。しかしそれは、それほどの活躍をしなければ勝てないようなチームしかヒルのために用意することができていなかったということでもあり、彼の身体は少しずつ疲労や負荷に蝕まれていきました。そしてその大きな負担が積み重なり1999~2000シーズンにヒルはキャリアを揺るがすケガを負ってしまいます。
1999~2000シーズン、ヒルは25.8得点5.2アシスト6.6リバウンドを平均し、またしてもMVP投票では3位になりました。彼は引き続きオールラウンドな活躍を見せていましたが、プレイオフでは結果を出すことができていませんでした。そしてこの年のプレイオフは彼のピストンズでの最後のチャンスとなりました。この年のピストンズには平均23.6得点を残すまでに急成長したジェリー・スタックハウスと頼れるシューターのリンジー・ハンターなどヒル以外にも頼れる選手がいました。そして勇んで挑んだプレイオフでヒルは元から負っていた足首のケガを悪化させてしまいチームも最大のチャンスを逃しました。そしてここからスターとしてプレーするヒルの姿は少なくなっていき、足首のケガをきっかけにキャリアの坂道を転げ落ちていくことになります。
まとめ
いかがだったでしょうか。ヒルはチームで唯一のスターとしてプレーすることができたからこそあのレベルで輝くことができたのではないかと思いますが、それゆえ、ケガでキャリアを不完全燃焼で終わらせてしまった選手だと思います。彼は世間の言う通りに次世代のマイケルジョーダンになれる可能性が高かった選手だけにケガが残念ですが、彼がケガ前に達成したことと、これから紹介していくケガ後のアジャストメントを見ていくと彼の選手として、そして人間としての素晴らしさが分かります。
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