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【選手紹介】元祖Mr. トリプルダブル:オスカー・ロバートソン(1/2)

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トリプルダブルを作り出した男

今のNBAでトリプルダブルと言えばラッセル・ウェストブルック、一昔前のMr. トリプルダブルはジェイソン・キッドとNBAにはトリプルダブルを連発する選手がまれに出現します。オスカー・ロバートソンもその1人としてMVPを受賞するような選手でしたが、彼と先に紹介した2人の違いは、ロバートソンが「トリプルダブルの生みの親」であり、2人は彼の記録に追いすがった、または追い抜いた選手だということです。今回はトリプルダブルをあり得ない数記録し、史上で初めてその概念を作り出した生きるレジェンドについて紹介していきます。

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大学時代~衝撃の1年目

ロバートソンはオハイオ州のシンシナティ大学に進学し、そこで元祖Mr. トリプルダブルのキャリアをスタートさせました。彼は1年生からチームの中心として活躍し最終的に平均33.8得点を記録し大学生として歴代3番目に高い平均得点を記録しました。彼の高い得点力は大学屈指のものであり、彼は3年間の大学キャリアで毎年全米大学の得点王に君臨していました。彼はオールアメリカンチームにも選出され、全米年間最優秀選手にも選ばれました。14個のNCAA記録と19個の大学記録を更新・樹立し3年間で大学は合計79勝9敗の成績を残しました。ロバートソンは得点能力だけでなく身体能力にも秀でており、彼は3年間のプレーで平均15.2リバウンドを記録し、大学で10回のトリプルダブルを記録しました。

1960年まだ大学生だったロバートソンは12人中10人が大学生選手で構成されていたアメリカ代表チームをジェリー・ウェストと共にキャプテンとして率い、オリンピックでは見事優勝を成し遂げ、金メダルを持ち帰りました。このチームは大学生が主体のチームでしたが、のちにレジェンドになるロバートソン、ウェスト、ジェリー・ルーカスがおり当時歴代最強の代表チームと評されていました。

そして1960年NBAドラフトにエントリーしたロバートソンは地域ドラフト制度により、シンシナティ・ロイヤルズに指名されました。そこでロバートソンは衝撃のデビューを果たし21得点10アシスト12リバウンドを記録していきなりトリプルダブルでルーキーシーズンのスタートを切りました。11月15日のフィラデルフィア・ウォリアーズとの試合では44得点11アシスト15リバウンドを記録し、ルーキーとして圧倒的な実力とカリスマ性を兼ね備えていました。ロバートソンはルーキーシーズンを平均30.5得点9.7アシスト10.1リバウンドで終え、ほぼ平均トリプルダブルを記録し、新人王はもちろん1年目選手としてオールNBA1stチームに選出され、いきなりオールスターMVPを受賞するほど活躍を残しシーズンを終えました。ロバートソンの活躍はルーキーと思えないものでしたが、チームは33勝46敗と大きく負け越しルーキーのロバートソンをプレイオフで見ることはできませんでした。

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平均トリプルダブルシーズン~バックスへのトレード

次のシーズン、ロバートソンはシーズンで41回のトリプルダブルを記録し、30.8得点11.4アシスト12.5リバウンドを平均し、当時史上初のシーズン平均トリプルダブルを記録しました。この年ロバートソンは2年前にボブ・クージーが記録した1シーズン715回のアシストを超えて899回のアシストを記録しました。そしてリバウンドでもその実力は発揮され、ジョニー・グリーンとエルジン・ベイラーに続き史上3人目の196㎝以下の選手として1シーズン900本以上のリバウンドを記録しました。そしてこの年ロバートソンの活躍によりロイヤルズはプレイオフに進出することができましたが、1回戦でピストンズに敗れ、ロバートソンの初プレイオフシリーズは終了しました。

1962~1963シーズン、ロバートソンはスタッツを少し落としましたがそれでも平均28.3得点9.5アシスト10.4リバウンドとほぼ平均トリプルダブルを記録し、プレイオフでもチームを牽引し東地区決勝まで駒を勧めました。しかしながら、この時代最強Cの一角を担っていたビル・ラッセル率いるセルティックスに第7戦にまでもつれる接戦で敗れ、初のNBAファイナル進出とはなりませんでした。

次シーズン、チームは新HCのジャック・マホーンを雇い55勝25敗を記録し東で2位の座を獲得しました。31.4得点11.0アシスト9.9リバウンドを平均し、リーグ最高のFT%を記録したロバートソンは1960年から1968年の間でビル・ラッセルとウィルト・チェンバレン以外で唯一シーズンMVPを受賞した選手になり、2度目のオールスターMVPも受賞しました。プレイオフでは1回戦を突破しましたが2回戦でまたしてもセルティックスに敗れ、ファンとロバートソンの不満は大きくなっていきました。

1964~1965シーズンから1970年までの5年間、ロバートソンは24.7得点8.1アシスト6.0リバウンドを平均し個人として活躍していましたが、1964年~1967年の間でプレイオフ1回戦負け、1968年からはプレイオフにすら出場できなかったことでファンの不満は爆発し、バックスにトレードされてしまいました。

まとめ

いかがだったでしょうか。ロバートソンのルーキーシーズン含めロイヤルズでの活躍は常人と思えないものでしたが、彼には結果がついてきませんでした。MVPやオールスターMVPを受賞するなど個人としては大成功していたので彼の周りにもう少し選手がそろっていればと想像してしまいます。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!