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【選手紹介】神様に敗れた「空飛ぶ冷蔵庫」:チャールズ・バークレー(1/3)

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プレーした時期に恵まれなかった史上トップ5に入るPF

200㎝越えの選手ばかりのNBAの世界でも特に巨人たちがひしめき合っているインサイドの選手たちは2010年代前半までは210㎝前後の身長は当たり前でした。その中でも198㎝と小柄ながら史上最高のPFの1人として数えられるほどの選手として活躍したチャールズ・バークレーはその身体能力の高さやフィジカルの強さを活かしたプレーで空中戦を支配し、「空飛ぶ冷蔵庫」と呼ばれました。しかしそれほどまで圧倒的で優秀な選手だった彼はキャリアに優勝の2文字がありません。今回はそんなバークレーのキャリア序盤について紹介していきます。

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大学時代~1984年NBAドラフト

高校最終年に急激に身長が193㎝まで伸び十分なプレータイムを得られるようになったバークレーはこの年に19.1得点17.9リバウンドを平均しており、後の進学先となるオーバーン大学の当時のHCの補佐役をしていたソニー・スミスに目を付けられました。スミスのスカウトに応じてオーバーンに進学した彼はセンターとして起用されました。

彼は大学時代に体重の制御をすることに苦戦していましたが、その苦戦が彼の身体能力と良い形でマッチし彼はインサイドで押し負けない身体で周りよりも高い身体能力を持つ選手として活躍できました。彼は3年間大学でプレーしましたが、その3年間で数多くの実績を残していきました。彼はオーバーン大学の歴代選抜チームに選出され、大学通算FG%の62.6%は大学歴代最高数値です。1984年にはSEC(南東地区)の最優秀選手になり、3年間連続でオールSECと1度のオールアメリカン2ndチームに選出されました。バークレーの大学通算スタッツは14.1得点9.6リバウンド1.7ブロックで、最も印象的なパフォーマンスは1984年のNCAAトーナメント予選最終戦で見ることができました。この試合彼は、FG80%で23得点17リバウンド4アシスト2スティール2ブロックを記録しました。

このように数々の圧倒的な記録や実績を残したバークレーは、後に史上最高のドラフトクラスの1つとして数えられることとなる1984年NBAドラフトにエントリーしました。

普通であれば1位指名を受けるような選手だったバークレーですが、先に言ったようにこの年は史上最高クラスのドラフトクラスだったため全体5位指名まで指名順位が落ちましたが、彼はこの悔しさを力に変えてこの先16年の長いキャリアを送っていくことになります。

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そこそこの滑り出し~驚異の3年目シーズン

ジュリアス・アービング、モーゼス・マローン、モーリス・チークスといった歴史に名を刻むようなベテラン選手が中心選手として所属する昨年チャンピオンのシクサーズにドラフトされた彼はルーキーシーズン82試合すべてに出場しそのうち60試合でスタメンとしてプレーしました。若い才能としてチームの未来のエースになると期待されたバークレーは、1年目から十分なプレータイムを得ることができ、平均14.0得点8.6リバウンド1.2スティール1.0ブロックを記録してオールルーキーチームに選出されました。プレイオフにもいきなり出場でき、カンファレンス・ファイナルでセルティックスに敗れてしまいましたが、1年目選手としては上々のプレイオフ平均14.9得点11.1リバウンド1.8スティール1.2ブロックを記録してルーキーシーズンを終えました。

2年目シーズン、オフシーズンにマローンのリーダーシップに導かれて選手として大きく成長した彼は平均20.0得点12.8リバウンドを記録し、チーム1のリバウンダー・チーム2番目のスコアラーとして完全にチームの核として使われるようになりました。昨年のプレイオフでは経験の少なさからかスターターとしてプレーする機会が少なかったバークレーはこの年には完全にチームの信頼を得ており、スターターとしてすべての試合に出場しプレイオフ平均25.0得点15.8リバウンド5.6アシスト2.3スティール1.3ブロックとスーパースター並みの数字を記録しました。バークレーの成長は著しかったのですが、アービング、マローン、チークスなどの他の選手たちの衰えがあったことでチームは2回戦でバックス戦で敗れてしまいました。

3年目の1986~1987シーズンの開幕前に衰えが最も激しかったマローンがブレッツにトレードされたことでバークレーは完全にチームリーダーとしての活躍が期待されるようになりました。その期待に応えるように11月4日の試合では34得点10リバウンド14アシストのトリプルダブルを記録し、3月のナゲッツ戦では驚異の26得点25リバウンド9アシストを記録してチームを勝利に導きました。この年、23.0得点14.6リバウンド4.9アシスト1.8スティール1.5ブロックを平均したバークレーは最初で最後のリバウンド王に輝き、低身長選手でもインサイドプレーヤーとして活躍できるということを2年連続で証明しました。バークレーはリバウンド王を受賞しましたが、単なるリバウンドだけでなく平均オフェンスリバウンド数でもリーグトップに立ち、インサイドプレーヤーとして完璧な貢献をしていました。その貢献がこの年も評価され初めてのオールスターゲームと2年連続のオールNBA2ndチーム選出を受けました。個人として絶対的な選手として君臨していたバークレーでしたが、マローンの抜けた穴は大きく、チームはプレイオフ1回戦でまたしてもバックスに敗れてしまい、自分が頑張っても勝てないチームにバークレーはフラストレーションを感じるようになりました。

まとめ

いかがだったでしょうか。自分が思っているよりも体重が増加してしまい、初めはそれによって悩みを抱えたりキャリアが上手くいかなかったりしたバークレーですが、身長がある程度伸びてからはそれがむしろ強みになっていました。ルーキーシーズンから確実なリバウンド力を見せつけわずか2年のうちにリバウンド王に輝いたバークレーは、その栄光とは裏腹にこれから先のキャリアではなぜか優勝をつかむことができないという問題に悩まされていくことになります。なぜそのようになったのかこれ以降の記事で紹介していきます。

このブログではNBAの歴代選手や歴代チームを紹介しています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!