【選手紹介】神様に敗れた「空飛ぶ冷蔵庫」:チャールズ・バークレー(2/3)
時代最強PFの全盛期と勝てないチーム
前回の記事では、素晴らしい大学キャリアと上出来なルーキーシーズンから完全にチームの中心になった3年目シーズンまでについて紹介しました。3年目シーズンではバークレーは身長が低いPFながら史上でもトップ10に入るようなリバウンドシーズンを過ごしましたが、チームの成功をつかむことができませんでした。今回の記事では、フランチャイズプレーヤーとしてチームを任せられたシーズンからサンズでの1年目までについて紹介していきます。
アービングの引退~プレイオフで結果を出せない時期
1987~1988シーズン、チームを長年支えたアービングが引退を発表したことでそれまで実力ではチームの1番手とながら精神的な面では2番手の選手としてプレーしていたバークレーは完全にチームのリーダー、そしてフランチャイズプレーヤーとして大きな責任を負うことになりました。普通ならプレッシャーに押しつぶされてパフォーマンスが学っと落ちてもおかしくないですが、バークレーはパフォーマンスを落とすどころかよりプレーの質を高めました。このシーズンバークレーはFG58.7%で平均28.3得点3.2アシスト11.9リバウンド1.3スティール1.3ブロックを記録し、初のオールNBA1stチーム選出を受けました。しかしチームにはアービングを失った穴が大きく空いており、他の選手ではそれを埋めることができず、この年のシクサーズはリーグで最強のPFとして評価されたバークレーを擁しながらもプレイオフ進出を逃しました。
翌シーズンも同じような活躍を残し、平均25.8得点4.1アシスト12.5リバウンド1.6スティール0.9ブロックを記録し、2年連続でオールNBA1stチームに選出されました。さすがにバークレーを満足させるためにプレイオフに進出できるようなチームを用意したシクサーズでしたが、彼の平均FG64.4%27.0得点5.3アシスト11.7リバウンド1.7スティール0.7リバウンドもむなしく1回戦でニックスにスウィープされ敗退しました。
MVP級選手としての評価~神様に阻まれ続けた期間
1989~1990シーズン、さすがにチームのフランチャイズプレーヤーとしてファンに愛されていたといっても、自分がどれだけ活躍しても勝つことができないチームにバークレーは苛立ちを隠せない状況になっていました。バークレーはそのフラストレーションをインタビューやフロントへのコメントという形ではなく、プレーのための原動力に変えることができました。このシーズン彼は受賞は逃しましたがMVP投票では5つの1位票を得て、マジックに次ぐ2位になるまでの活躍を残しました。この年も彼はオールNBA1stチームに選出されましたが、この頃にはすでに彼はこの選出に何かを感じることは無くなっており彼が求めていたものは完全に優勝のみでした。彼はシクサーズをチームを53勝まで導いてチームを1人の力でプレイオフに引っ張っていきカンファレンス・ファイナルまで進出しましたが、同期のジョーダン率いるブルズに5戦で敗退し始めてプレイオフでジョーダンという壁に道を阻まれました。
翌年、オールスターゲームに出場した彼は1967年のウィルトが残した22リバウンドの記録に並ぶ記録を残し、イーストチームを勝利に導きました。この年彼はオールスターゲームでの活躍が評価され最初で最後のオールスターMVPを受賞しました。このシーズンスパーズのデビッド・ロビンソンがニューヨークタイムズの取材でジョーダンとバークレーどちらを取るかという質問に対して「自分はバークレーを取る。プレーしているときのインパクトが彼より大きい選手はいない。」とバークレーを賞賛しました。しかしプレイオフでまたしてもブルズと対戦したバークレーはシリーズ平均25.6得点5.4アシスト10.2リバウンド1.4スティールを記録しスーパースターとして活躍しましたが、ジョーダンがそれを上回る平均33.4得点7.8アシスト8.0リバウンド1.8スティール1.4ブロックを記録し、選手としての格の違いを見せつけられて敗北しました。
そしてシクサーズでプレーした最後の年となった1991~1992シーズン、シーズン開幕前にHIVを理由に引退を発表したマジックの背番号を引き継いだバークレーは、34番に変わって32番をつけることに決めました。このシクサーズ最後のシーズン、マジックへの思いもあってかトレードを要求するようなモチベーションの選手らしくなくいつも通りのパフォーマンスを残しました。バークレー自身は6年連続のオールスターと3度目のオールNBA2ndチーム選出を受けましたがチームは35勝47敗でプレイオフ出場を逃してシクサーズを去ることになりました。
古豪への加入と個人的な栄光
シクサーズからトレードされ、古豪のサンズに加入したバークレーはチームに加入していきなりインパクトプレーヤーとして貢献活躍しました。バークレーはサンズでの初めての試合で37得点8アシスト21リバウンドのモンスターパフォーマンスを記録してチームを勝利に導きました。彼はこのシーズン、サンズをリーグトップの62勝20敗に導き、自身は平均25.6得点5.1アシスト12.2リバウンドを記録して初のMVPを受賞しました。レギュラーシーズンにMVPを受賞したバークレーは加入したばかりのチームをリーグトップの成績に導いただけではなく、プレイオフでもNBAファイナルまで引っ張っていきました。バークレーはプレイオフでも活躍し続け、平均26.6得点4.3アシスト13.6リバウンドを記録しました。しかしこのファイナルでも運命のようにバークレーはジョーダンのブルズと対戦することになり6戦であえなく敗退してしまいました。
まとめ
いかがだったでしょうか。バークレーはシクサーズでのシーズンとサンズでの1年目を終えた時点でリバウンド王、オールスター、オールNBAチーム選出、MVPと多くの賞や選出を受け、個人として多くのことを達成しました。しかしながらそれでも周りの環境や時代の流れに恵まれずこの時点でも優勝を成し遂げることができませんでした。この後も何度か優勝チャンスに恵まれますがやはり先ほどの理由や衰えのせいで最後まで優勝することができませんでした。
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