【選手紹介】ダンクの父:ジュリアス・アービング(3/3)
NBAでも達成できた優勝
前回の記事ではNBAに活躍の場を移したアービングが個人としてMVPを獲得したりオールNBA1stチーム入りを達成したりと、ABAと変わらない圧倒的なパフォーマンスを発揮していながらも優勝には手が届かなかった時期について紹介しました。セルティックスが再び王朝を築いたり、レイカーズのスーパーチームに敗れたりとタイミングに恵まれなかったアービングですが今回紹介するなかでついに優勝を成し遂げることになります。では今回はアービングの優勝を含んだキャリア最終期について紹介していきます。
最強の相棒の獲得~いきなりの優勝
1982~1983シーズン、シクサーズは優勝を本気で目指すために必要な戦力を補強することができました。それはセルティックスのマクヘイルとパリッシュ、レイカーズのカリームなどのインサイドプレーヤーに対抗できるセンターの獲得であり、チームは27歳にしてリーグを代表するセンターとして活躍していたモーゼス・マローンを獲得しました。そして史上最高クラスのフォワード&センターデュオを擁することになったシクサーズは65勝17敗とこのシーズンのリーグを支配してプレイオフ出場を決めました。彼らの強さは本物であり、ほとんどのチームが彼らを止めることができていませんでした。オールNBA1stチームに選出されたアービングと、シーズンMVPを受賞したマローンの名実ともに最強のコンビであった彼らを中心としたチームは近年で言うところのウォリアーズ王朝のような期待度の高さでプレイオフに入っていくことになりました。移籍後すぐにリーグ最高のデュオの1人として活躍していたマローンはチームの強さを強く信じていたため「fo-fo-fo」という歴史に残るようなインタビューを行い世間を騒がせました。「fo-fo-fo」とは当時のプレイオフは3回戦形式だったため、すべてのシリーズをスウィープで終わらせることを意味していました。実際のプレイオフでは1回戦をスウィープで突破しましたが、2回戦のバックス戦で1敗してしまいました。しかしその次のレイカーズとのNBAファイナルでは宣言通りのスウィープを果たし、アービングはマローンという相棒を獲得したことをきっかけについに優勝を成し遂げることができました。このシーズン、アービングはオールスターMVP、マローンはシーズンMVPとファイナルMVPを受賞しており1シーズンのMVP賞はすべてシクサーズの選手に総なめされていました。
時代の転換期~生ける伝説の引退
このいきなりの優勝の次のシーズン、アービングは33歳となり体力の衰えが見られるようになりました。身体能力は衰えていなかったのでそこまで有効性が落ちることはなかったのですが、彼のプレースタイルは身体能力で蹂躙するようなものから経験とスキルを活かした老獪なものに変わっていきました。オールスターゲームに出場してゲームハイの34得点を記録しましたが、アービングの変化はチームのパフォーマンスに大きく影響しており、シクサーズは50勝32敗まで成績を落としプレイオフでも1回戦で敗退してしまいました。
1985~1986シーズン、1984年のNBAドラフトでチャールズ・バークレーを獲得していたシクサーズはバークレーのプレータイムを増やすためにマローンをブレッツへトレードし、アービングとマローンのデュオは解体されてしまいました。このシーズンにはアービングのパフォーマンスは大きく下がっており、平均得点は20得点を切って18.1得点まで落ちていました。チームはバークレーを中心として再建に向かい始めており、年齢的にも限界を感じていたアービングは翌1986~1987シーズンをもって引退することを決心しました。
そして迎えた最後のシーズン、アービングは自身最低の60試合の出場に留まりましたがそれでも平均16.8得点を記録して、シーズン終盤にはキャリア通算30,000得点を達成しました。そして最後のプレーオフに出場したアービングは1回戦のバックス戦で敗退してしまい37歳でNBAから引退しました。
まとめ
いかがだったでしょうか。アービングは引退年に16得点以上を平均していることからもわかる通り長い期間にわたってその実力を維持できていた選手です。ABAだけでなくNBAでも優勝を成し遂げ、シーズンMVPも受賞することができたアービングは正真正銘のレジェンドであり1970年代から1980年代後半までのバスケットボールを支えた史上でも最も重要な選手の1人と言っても過言ではありません。
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