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【選手紹介】小さな巨人の代名詞SG:アレン・アイバーソン(2/3)

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シクサーズの失望とリーグとの闘い

前回紹介したアイバーソンのキャリアについて、今回は後半に入っていきます。アイバーソンは前回紹介したシーズンを終えた次のシーズンから評価を落としていくことになります。今回は彼のシクサーズでの最高のシーズンの後の話からナゲッツでの急激な評価の落ちについて紹介していきます。

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最高のシーズンの後最悪なシーズン

奇跡のファイナル進出と最強チームのレイカーズに一矢報いた最高のシーズンの次シーズン、アイバーソンはケガに悩まされながらもチームのためにプレーし続け、31.4得点を平均し、2年連続で得点王になりました。しかし、このシーズンからアイバーソンのさぼり癖はチームの雰囲気を壊し始めており、アイバーソンの活躍もむなしくチームは43勝39敗の成績で何とか出場したプレイオフでは、昨年ファイナルに進出したチームとしては屈辱となる1回戦で敗退しました。そしてこのシーズン、HCのブラウンがアイバーソンのさぼり癖をメディアの前で話し、アイバーソンは練習をさぼることについてメディアに質問攻めされることになりました。

翌年の2002~2003シーズン、チームはチームのディフェンスを支えていたムトンボをトレードし、さらにスノーとマッキーが攻守の両方で実力を落としたことでチームはオールスターウィークの後にチームを再編し、アイバーソンの平均27.6得点に助けられ48勝34敗でプレイオフに進出しました。1回戦ではバロン・デイビス擁するホーネッツを破りましたが、2回戦でピストンズ相手に敗退しました。そしてこの敗北を受け、のちにアイバーソンが「世界最高のHC」とまで称したブラウンはチームを去ることになってしまいました。

次シーズン、チームはHCとしてランディ・エアーズを雇いましたが、彼は選手たちと良い関係を築くことができずチームが21勝31敗を記録した時点で解雇され新しくクリス・フォードが雇われました。アイバーソンは彼の非常に厳しく縛り付けられるようなスタイルが嫌いで練習をさぼり続けたり、連絡もなく試合を欠場したりして34試合を欠場しました。このシーズンエースの欠場でチームは連続で出場し続けたプレイオフを逃すことになりました。

2004~2005シーズン、チームはまたしてもHCを変え、ジム・オブライエンを雇用しました。チームはドラフトでイグダラを指名し、シーズンの中盤にトレードでウェバーを獲得したことで再びプレイオフに戻ることができました。12月にマジック戦でアイバーソンはキャリアハイの60得点を挙げ、31得点8アシストを平均した彼は4度目の得点王を受賞しました。チームは43勝39敗の成績でプレイオフに出場しましたが、1回戦で奇しくもブラウンがHCをしていたピストンズに負けてしまいました。

翌シーズン、チームは昨年プレイオフ復活を助けたオブライエンを選手から不満が出ていることを理由にわずか1シーズンで解雇し、新たに2001年にACとして活躍していたモーリス・チークスをHCとして雇いました。このシーズンアイバーソンは平均33.0得点のキャリアハイを記録しましたが、彼の自由奔放な性格はチークスではコントロールできませんでした。アイバーソンとウェバーは4月の試合前インタビューに遅刻し、試合開始前ぎりぎりに姿を現しました。イグダラのような才能ある若手がいるチームでケミストリーを乱し続けるアイバーソンの行動は悪影響とみなされ、チームは彼のトレードを探し始めましたが、アイバーソンはシクサーズに残りたい意思を示しました。

しかしながら、アイバーソンは次シーズンの15試合消化時点でチームが5勝10敗と負け越したことでトレードを要求しました。そしてアイバーソンはナゲッツにトレードされることになりましたが、シクサーズは2012年までプレイオフに姿を現すことはできませんでした。

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ナゲッツでの低迷

シーズンの初めにトレードされたアイバーソンはトレード時点でリーグ2位の平均得点を記録していて、1位はナゲッツの若手エースのカーメロでした。この得点に長けたダイナミックデュオは注目を集め、期待通りナゲッツはプレーオフにも進出しました。1回戦を突破することはできましたが、2回戦のスパーズ戦では手も足も出ずスウィープで敗退することになりました。

翌年2007~2008シーズン、1月シクサーズとの試合でアイバーソンは2回のテクニカルファウルを取られ、審判のスティーブ・ジェヴィを「あれは彼の私情で操作されたコールだった。彼は俺を悪者にしようとしていた。」と批判したことによってNBAから罰金処分を受け、再びチームの雰囲気を乱す存在として見られるようになりました。

そしてナゲッツは2009年にメンターPGとしてビラップスをカーメロの隣に置くためにアイバーソンをピストンズにトレードし、そこでDNPされたのち彼はグリズリーズでプレーすることになり、スコアリングマシンデュオは3年もせずに解体されました。

まとめ

いかがだったでしょうか。今回はアイバーソンのシクサーズ後半とトレード後のナゲッツでのキャリアについて紹介しました。ここから彼の評判は落ち始めましたが、彼の実力を疑う人は少なく、それは実力者とのトレードが成立したことからも明らかです。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!