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【選手紹介】小さな巨人の代名詞SG:アレン・アイバーソン(1/3)

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史上トップ5のSGに入る76ersの英雄

183㎝の身長と75㎏の体重とNBA選手らしくない体格ながら、圧倒的な得点能力と身体能力を見せつけ4度の得点王になったアレン・アイバーソン。彼は高校時代から注目を浴びた選手でありながらある事件によってNBA入りの可能性を絶たれかけましたが、周囲の助けを借りてNBA入りした後は歴史に名を刻む選手として活躍しました。今回は76ersだけでなくNBAの歴史上でも重要な存在だったアイバーソンのキャリアについて紹介していきます。

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想像を絶する過去~NBA入りまでの苦労

アイバーソンはアレン・ブロートンとアン・アイバーソンの間に生まれた子であり、のちに父のアレンが逮捕されるとアンはマイケル・フリーマンと再婚しアイバーソンはマイケルからバスケを学びました。しかしマイケルはドラッグディーラーとして稼ぐ中で自身もドラッグにおぼれてしまい、アイバーソンは2度父と呼べる存在を失うことになりました。父がいなかったためアイバーソンの一家は非常に貧しく、家は下水管の真上に建っていたため悪臭が漂うことも多かったようです。バスケとアメフトの両方で優秀な成績を収めたアイバーソンは高校時代に両方のスポーツで州のMVPに輝きましたが、アイバーソンはバスケで自分と家族の道を切り開くことに決めました。多くの名門大学からスカウトが止まなかったアイバーソンですがある事件に巻き込まれそのスカウトは全く来なくなってしまいます。

卒業間近でケンタッキー大学への進学もほぼ決まっていたアイバーソンは友人とボウリング場へ行った際にそこで白人グループと黒人グループの乱闘に巻き込まれ、まだ明らかな差別が公的な場所でも行われていたアイバーソンと黒人の友人は白人グループが無罪になる一方で懲役15年の判決を言い渡され、大学の話がなくなってしまいました。アイバーソンは絶望しましたが、そんな時母が地元の小さなジョージタウン大学のバスケ部HCのジョン・トンプソンにアイバーソンの受け入れを懇願したことによってアイバーソンはジョージタウン大の奨学金を受け、進学することになりました。

大学に進学したアイバーソンは1年目から圧倒的なセンスと実力を見せつけ、年間最優秀守備選手賞と新人王を受賞し、2年目には連続の年間最優秀守備選手賞受賞とオールアメリカンに選出されました。2シーズン通算の平均得点を23得点とし、すでに世界最高のPGとして評価されていたアイバーソンは病気の妹と母を助けるために当時では珍しい2年生でのNBA入りを決断し、1996年のドラフトで76ersに1位で指名を受けました。

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驚異の新人シーズン~揺れる関係

アイバーソンはその実力でも注目を浴びた選手でしたが、ドラフトされたときに史上最も身長が低い1位指名選手としても注目を集めました。1年目に23.5得点7.5アシスト2.07スティールとすべてのスタッツでリーグトップ15に入る成績を平均したアイバーソンは当然のように新人王になり、オールルーキー1stチームに選出されました。また、このシーズンには高校のころから対戦を待ち望んだジョーダンとの1on1が実現し、アイバーソンは見事そのクロスオーバーでジョーダンを出し抜いてシュートを決めました。アイバーソン個人としては活躍しましたが、前年18勝64敗の成績に沈んだチームをわずか22勝60敗までしか引き上げることができず、1年目からアイバーソンは自分勝手であり、チームに貢献できない選手としてのイメージがつくことになりました。

2年目のシーズン、エリック・スノー、アーロン・マッキーや新HCのラリー・ブラウンがチームに加わったことにより、チームとしての実力が向上し、アイバーソン率いるシクサーズは成績を31勝51敗まで伸ばしました。

1998~1999シーズン、シクサーズにとっては躍進の年になりました。ロックアウトにより50試合の短縮シーズンになったこのシーズンアイバーソンは26.8得点を平均し、キャリア初の得点王を受賞しました。オールNBA1stチームにも選出され、チームは28勝22敗を記録し、アイバーソン初めてのプレイオフに進出しました。王令オフでは28.5得点を平均し、1回戦では3位シードのマジックをアップセットし、2回戦でペイサーズに第6戦で敗退しました。

次シーズン、アイバーソンはリーダーシップを発揮し、シクサーズは49勝33敗、2年連続のプレイオフ進出を果たしました。アイバーソンはプレイオフで26.2得点4.8アシスト4リバウンド1.3スティールを平均しましたが、またしても2回戦でペイサーズ相手に敗退しました。アイバーソンはこのシーズン初めてのオールスターに選出され、この年から10連続でオールスターに選出され続けました。個人としては順調なキャリアを送っていましたが、HCのブラウンと険悪な関係になっていたことでシクサーズはオフにアイバーソンをトレードしようとしていました。

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歴史に残るMVPとプレイオフ

2000~2001シーズン、ブラウンはアイバーソンと話し合いアイバーソンをゲームコントロールに集中しなければならないPGからより彼の強みを活かすことができるSGにコンバートすることにしました。この変化はチームとアイバーソンに大躍進をもたらしました。アイバーソンは31.1得点を平均して2回目の得点王になり、2.5スティールを記録しスティール王にもなりました。そしてこのシーズンチームを56勝26敗のカンファレンス1位に導いたアイバーソンはシーズンMVPとオールスターMVPを受賞しました。プレイオフでは宿敵のペイサーズを破り2回戦でビンス・カーター率いるラプターズを2度の50得点以上を記録し第7戦で破りカンファレンス・ファイナルではレイ・アレンのいたバックスにまたしても第7戦で勝利しついにNBAファイナルに進出しました。シャック&コービーのレイカーズはこのプレイオフでファイナルまで無敗で勝ち上がってきており、世間の評価はアイバーソンしかスターがいないシクサーズはスウィープされるだろうというものでした。しかしここでもアイバーソンは第1戦で48得点を記録しレイカーズに唯一の黒星を付けました。この後4連敗でチームは敗退しますが、この年のアイバーソンのパフォーマンスは歴代でも屈指のものでした。

まとめ

いかがだったでしょうか。今回は幼少期からMVPシーズンまでを紹介しました。アイバーソンは個人的に1番好きな選手なので、彼のことを知っている人がもっと増えてほしいと思います。次はキャリア後期から引退まで紹介しますので、アイバーソンのキャリア全体を知りたい方は是非読んでくださいね!

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!