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【チーム紹介】NBAの悪役チーム:デトロイト・ピストンズ

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f:id:koroUTAS:20211107183551j:plain神様を苦しめた1980年代後半のヒールチーム

1986年のドラフトでコアメンバーとなるデニス・ロッドマンをドラフトしたピストンズは、ジョーダンが初めての優勝を達成するための最初の壁として彼の前に立ちはだかりました。非常に荒いディフェンスをアイデンティティとするチームは「バッド・ボーイズ」と称され、リーグに嫌われる存在として活躍しました。

アイザイア・トーマスをエースとして1989年と1990年に2連覇を成し遂げ、歴史に名を刻むチームとして評価を受けているこの時代のピストンズですが、何がそのような評価につながっているのでしょうか。今回は1980年代後半から1990年代前半にかけてリーグを席巻していたピストンズについて紹介していきます。

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「バッド・ボーイズ」の始まり~1度目の優勝

1981年にキープレーヤーのビニー・ジョンソン、1982年にビル・レインビアを獲得したピストンズはさらにディフェンスを強みとしたチームを作り上げるために1983年にチャック・デイリーを新HCとして雇いました。しかしそれでも、チームとしてディフェンスをアイデンティティとすることに苦戦していたピストンズは1986年ドラフトでロッドマン、ジョン・サリー、エイドリアン・ダントリーの3人の核となる新しい戦力を追加することができました。そしてこの3人がバッド・ボーイズ・ピストンズの成立に大きく貢献することになりました。この年チームとして確実なスタイルを作り上げたピストンズは圧倒的な強さを見せてカンファレンス・ファイナルに進出しましたが、7戦シリーズでセルティックスに敗れました。

しかし、翌シーズンセルティックス戦での敗戦をモチベーションとしてさらに結束力を高めることができたピストンズはレギュラーシーズンで54勝を記録しフランチャイズ初のディビジョン優勝を達成しました。その流れのままプレイオフに出場したピストンズは見事にセルティックスへのリベンジを果たしてフランちゃずがデトロイトに移籍してから初めてのNBAファイナルに進出しました。ファイナルの相手はマジック・ジョンソン擁するレイカーズであり、先に3勝2敗でリードをとったピストンズでしたが、第6戦でエースのアイザイアがケガを押してプレーしていたことで、第7戦では万全の状態でプレーすることができず最大のチャンスを逃してしまいました。

1988~1989シーズン、ピストンズはオフェンスでアイザイアにかかる負担を軽減するために、ディフェンスの要として活躍していたダントリーをトレードしてオフェンス力の高いマーク・アグワイヤーを獲得しました。このトレードは初めは大きく批判されていましたが、予想以上にピストンズが好調なプレーを続けたことで徐々に批判の声は無くなっていきました。このシーズンピストンズは最終的に63勝を記録しまたしてもフランチャイズの勝率記録を塗り替えました。この勢いはプレーオフでも続き、レイカーズをファイナルでスウィープするとフランチャイズ初優勝を達成しました。

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2連覇達成~バッド・ボーイズの解散

初優勝を達成した次のシーズン、ピストンズはミネソタ・ティンバーウルブズがNBAに新しく加入する際に行われるエクスパンション・ドラフトでチームの重要なベンチプレーヤーとして活躍していたリック・マホーンを失ってしまいました。しかしながら何とか59勝を記録してピストンズはプレイオフに進出し、カンファレンス・ファイナルではジョーダンとピッペンが躍進した若いブルズと対戦しました。ピストンズは後の神様となるジョーダン相手に苦戦を強いられ、第7戦までシリーズを戦い抜くことになりましたが、ブルズを破って2年連続のNBAファイナル出場を果たしました。ファイナルではブレイザーズとの対戦となり、「マイクロウェーブ」と呼ばれたスコアラーのビニー・ジョンソンに助けられ残り時間0.07秒で勝利を決定づけたピストンズは連覇を達成することができ、アイザイアはファイナルMVPに選出されました。

そして3連覇をかけて挑んだ翌シーズン、アイザイアがプレイオフ前に重大なケガを負ってしまい大きく戦力が低下したピストンズはブルズにリベンジを許してしまいスウィープでプレイオフ敗退することになってしまいました。このシリーズの後、年齢による衰えが隠せなかったジョンソンをウェイブし、ジェームズ・エドワーズをトレードしたピストンズはオフェンス面での強みを失ってしまい負け始めるようになっていきました。

1991~1992シーズン、プレイオフ1回戦でニックスに1勝4敗で敗れた責任を取ってチャック・デイリーがHCを辞任し、サリーとロッドマンをトレードしてチームとして崩壊に向かいました。

1993年にはレインビアが引退を表明し、1994年にはアイザイアも引退したピストンズは完全にバッド・ボーイズ時代のメンバーを失い長い再建期に入りました。

まとめ

いかがだったでしょうか。この時代のピストンズはアイザイアを中心としてフィジカルすぎるディフェンスで流れを呼び込む伝統的なバスケットをしていたチームでした。今のバスケとは大きく異なり、ディフェンスから流れを作り出した「バッド・ボーイズ」は後のニックスにも影響を与えており、NBAの歴史には欠かせないチームです。

このブログではNBAの歴代選手や歴代チームの紹介をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!