【選手紹介】バスケットボールのキング:レブロン・ジェームズ(2/3)
リーグ最強選手への道
前回の記事では天才高校生として名を馳せていたころのレブロンからリーグ屈指の若手プレーヤーの評価を受けえていたころのレブロンについて紹介しました。今回紹介するのはリーグ屈指の若手プレーヤーからリーグ最強の選手と呼ばれるまでにレブロンが成長するまでの過程になります。
初のファイナル進出~MVPシーズン
2006~2007シーズン、レブロンは27.3得点6アシスト6.7リバウンド1.6スティールと平均スタッツが落ちてしまい、数人のアナリストがこの原因を練習と集中の欠如からくるパススキルの低下とショットセレクションの悪化とし、レブロンを批判するコメントが見られました。レブロンの成績は落ちましたが、チームは50勝を記録し2位シードでプレイオフに進出しました。この年キャバリアーズはレブロンのパフォーマンスに牽引され、カンファレンス・ファイナルに進出します。ピストンズとのカンファレンス・ファイナル第5戦、レブロンは48得点7アシスト9リバウンドを記録し、驚くべきことに残り2秒の逆転レイアップを含むキャバリアーズの最後の30得点中29得点を取りました。このレブロンのパフォーマンスは2012年のESPNのランキングでレブロンのこの活躍は歴代4番目に偉大なパフォーマンスとして位置づけられることになりました。6戦でピストンズを倒し、初のファイナルに進出したレブロンはファイナルでスパーズと対戦しますが、彼は集中マークを受け彼以外に得点できる選手がいなかったキャバリアーズはスウィープでファイナルに敗れました。
翌シーズン、レブロンは2度目のオールスターMVPを受賞し、30得点以上を平均していた彼は初の得点王も受賞することになりました。レブロン自身は大きく活躍しましたが、チームは45勝37敗とさらに成績を落とし、2回戦でこのシーズンのチャンピオンになるセルティックスに敗れてしまいました。このセルティックスとのシーズンでレブロンが45得点、ピアースが41得点を記録した試合は「Shootout」と呼ばれ、文字通り怒涛の打ち合いになりました。
2008~2009シーズン、レブロンはディフェンス面で大きく成長を見せ、最優秀守備選手投票で2位になりました。初のオールNBA1stチーム選出も受け、合計で93回のブロックと23回のチェイスダウンブロックを記録しました。レブロンはこの年チームでの存在感をさらに強め、史上4人目のアドバンススタッツ以外のスタッツすべてでチームトップを記録し、圧倒的なリーダー、そしてエースとして活躍しました。レブロンのパフォーマンスとオールスターガードのモー・ウィリアムスの獲得によってキャバリアーズはチーム記録の66勝16敗を記録し、レブロンは28.4得点7.2アシスト7.6リバウンド1.7スティール1.2ブロックを平均して初のシーズンMVPを受賞しました。ESPNのジョン・ホリンガーはレブロンのこのシーズンを「彼はおそらく史上最高の個人シーズンを送った。そして今が彼にMVPをあげるべき時だ」と結論付け、最高の賛辞を送りました。プレイオフではピストンズとホークスをスウィープしマジックとカンファレンス・ファイナルで対戦しました。レブロンは第1戦でFG66%で49得点を記録し奮闘しましたが、チームは敗退してしまいました。第2戦ではゲームウィナーを沈め、シリーズを戻しましたが、結果的にレブロンは結果的に第6戦でシリーズを敗退することになりました。レブロンはこのシリーズで38.5得点8アシスト8.3リバウンドを平均しましたが、チームは大事な場面で勝利をつかむことができずレブロンは勝負弱いという印象がますます強くなりました。
次シーズン、レブロンはバックコート選手のケガが相次ぎ、ポイントガードをプレーする時期が続きました。レブロンのリーダーシップに導かれたチームは2年連続でリーグトップの勝率を残し、プレイオフに進出しました。このシーズンレブロンは29.7得点8.6アシスト7.3リバウンドを平均し2年連続でMVPを受賞しました。プレイオフでは1回戦でローズのブルズを破り2回戦でセルティックスと対戦しました。セルティックス戦の第5戦でレブロンは絶不調に陥り、FG20%で15得点という最低のパフォーマンスを残しました。このシリーズを第6戦で敗退したチームはファンの期待を大きく裏切りその中心選手のレブロンはファンからも大きな批判を受けることになりました。
3キングス結成~解散
2010年のオフ、FAだったレブロンは今のキャバリアーズでは優勝することはできないと判断し、親友かつライバルのウェイドがいるヒートに移籍することにしました。レブロンはこの移籍の発表の際、「The Decision」という全国放送をセットアップしそこで発表したことと当時ラプターズのエースだったボッシュともチームアップすることによって、ヒート以外のリーグ全体ひいてはマジックやジョーダンなどのレジェンドたちから大きな非難を受けることになりました。ウェイド・ボッシュの2人のスターを手に入れたレブロンは負担が大きく減り、平均トリプルダブルを記録するのではと予想されていましたが、この結成1年目のシーズンでヒートとレブロンは大きく期待を裏切ることになりました。シーズンが始まって17試合を終えた時点で9勝8敗と微妙な結果を残したことをレブロンは周囲のネガティブな環境を原因とし、自分は今までこんなヘイトを受けながらプレイすることはなかったと語っています。最終的にレブロンは26.7得点7アシスト7.5リバウンドを平均し、チームもカンファレンス2位でシーズンを終えました。プレーオフでは予想通りファイナルまで進出しましたが、ここでレブロンはプレッシャーとヘイトに耐え切れず、大きくパフォーマンスを落とし平均17.8得点を記録しました。レブロンのこの不調はチームに大きく影響し、ヒートはベテラン軍団のマーベリックスに第6戦で敗退し優勝を逃しました。
2011~2012シーズンはロックアウトによって短縮されたシーズンになりましたが、レブロンはオフにアキーム・オラジュワンとトレーニングをしポストプレーに磨きをかけました。また、ヒートの1番手の座はウェイドからレブロンに移り、1番手を任されたことによりレブロンは思う存分プレーすることができるようになりました。27.1得点6.2アシスト7.9リバウンド1.9スティールを平均したレブロンは3度目のMVPを受賞し、プレイオフに進出しました。ヒートは2回戦でボッシュをケガで失うというトラブルがありましたが、エースとして大成長したレブロンの活躍で2回戦を突破し、カンファレンス・ファイナルのセルティックス戦ではボッシュが復帰し、第6戦では45得点15リバウンドを記録し、チームをファイナルに導きました。ファイナルではOCKサンダーを第5戦で降し、レブロンは初の優勝とファイナルMVP受賞を成し遂げることができ、正真正銘の歴代プレーヤーに名を連ねることができました。
次シーズン、レブロンは26.8得点7.3アシスト8リバウンド1.7スティールを平均し、チームも歴代3番目に長い27連勝を記録しました。66勝16敗でリーグトップの成績を残し、プレイオフに出場したヒートとレブロンはスパーズとの第7戦までもつれる接戦を制し2連覇と2年連続ファイナルMVP受賞を成し遂げました。ファイナルでは2勝3敗でシリーズをリードおり、その間レブロンは積極性を欠き批判されていましたが、ここから彼のスイッチが入り、次戦では第4Qの16得点を含むトリプルダブル、最終戦では37得点を記録しチームを優勝に導きました。
2013~2014シーズン、レブロンはキャリアハイかつチーム歴代最高の61得点を挙げ、27.1得点6.4アシスト6.9リバウンドを平均しました。プレイオフではスパーズに去年のリベンジを受け、1勝4敗でシリーズ敗退となり、ジョーダンのブルズ以降初の3ピートを逃し、このオフにレブロンは「クリーブランドに優勝をもたらす」という約束を果たすためにクリーブランドへ帰還し、ヒートのBIG3は解散することになりました。
まとめ
いかがだったでしょうか。レブロンは地元チームを裏切る形で優勝を追い求めた選手というイメージが移籍直後には付きまといましたが、それを1回のMVP、2連覇と2年連続のファイナルMVP受賞と実績でその批判をねじ伏せました。そして満を持して地元に帰還し、そこで約束を果たすことになります。
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