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【選手紹介】桜木花道のモデルとなったリバウンド王:デニス・ロッドマン(1/3)

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NBAの異端児デニス・ロッドマン

NBAに入ってしばらくは「バッド・ボーイズ」のピストンズを代表するパッションのあるディフェンダーとしてジョーダンを苦しめていたロッドマンは、キャリアの後期にジョーダンのブルズを支える優秀なディフェンダー兼リバウンダーとして活躍し3連覇に貢献した選手でした。日本では「SLAM DUNK」の主人公の桜木花道のモデルとして赤坊主の頃のロッドマンが非常に有名です。今回はそんなロッドマンの若いころからNBA選手としてのキャリアについて紹介していきます。

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壮絶な幼少期~苦労の学生時代

ロッドマンはニュージャージー州のトレントンという治安の悪い街で生まれ育ちました。ロッドマンが子供の頃、彼の父は家族を残し家を去り、その結果としてロッドマンの姉のシャーリーは同時に4つの仕事を掛け持つようになるほどに家計はひっ迫していました。ロッドマンは家族をこのような環境に陥れた父親を避けるようになりNBA選手となった後も連絡を取ることはなく、2012年まで再会することはありませんでした。ロッドマンは愛情を注いでくれる大人が母しかいなかったことで彼女にくっつくように成長しましたが、彼の母はロッドマンよりもバスケットボールの才能に恵まれていた2人の姉により執着しており、ロッドマンは一層孤独を感じるようになりました。

母の気を少しでも引けるようにバスケットボールに打ち込むロッドマンでしたが、1年生当時は身長が168㎝しかなく、「レイアップすらまともに決めることができない」と見られ、バスケットボール部だけでなくサッカー部にも見限られるほどでした。

高校卒業後、ダラス国際空港で清掃員として夜勤勤務をしていたロッドマンですが、彼の身長はこの時期に急激に伸び、180㎝から201㎝の大台に乗りました。そして現在のノースセントラルテキサス大学で家族のコネを通じてプレーすることができました。彼はそこで半年しかプレーしませんでしたが、17.6得点13.3リバウンドと大きなインパクトを残し、サウスイースタンオクラホマ州立大学に転校してプレーすることができました。そこでは3回のNAIAオールアメリカンチームに選出され、2度のリバウンド王になりました。3年間で25.7得点15.7リバウンドを平均したロッドマンはNBAのプレドラフトキャンプでMVP賞を受賞し、そこで見せたガッツとリバウンド能力によってピストンズに目を付けられるようになりました。

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デトロイト・ピストンズへの加入~ディフェンス力の開花

そうして様々な苦労を重ねたロッドマンは1986年NBAドラフトで全体27位でピストンズに指名されました。当時のピストンズは「バッド・ボーイズ」と呼ばれる激しいディフェンスで頻繁に乱闘や喧嘩を起こしていたことからリーグ全体に嫌われるようなチームでしたが、今までの人生で常に逆境で他人がやりたがらない仕事にこそ価値を見出せるロッドマンはすぐにチームにフィットすることができました。ロッドマンはわずか15分のプレータイムながら6.5得点4.7リバウンドを平均し、特に大学時代から強みだったタフなディフェンスでチームに貢献しました。プレイオフでは1年目選手としていきなりカンファレンス・ファイナルを経験することができたロッドマンですが、ロッドマンはデニス・ジョンソンともみ合いになってしまい、悪い雰囲気のままシリーズを敗退することになりました。この敗戦の後にロッドマンはセルティックスのバードを「白人だからあそこまで評価されている」と人種差別ととられるような言葉で侮辱し、それによって世間から大きな批判を受けることになってしまいました。

次の年、ロッドマンは選手として全体的に成長し、11.6得点8.7リバウンドを平均し、32試合でスターターを務めるまでにピストンズの中心選手として使われるようになりました。この年ピストンズはNBAファイナルまで進出しレイカーズと対戦しました。第5戦を終えて3勝2敗とシリーズをリードしていたピストンズでしたが、第6戦でデュマーズのミスショットをプットバックをミスしてしまったロッドマンはつかみかけていた優勝を第6戦で逃し、この試合のダメージは後を引きそのままシリーズを逆転負けしてしまいました。

1988~1989シーズン、ロッドマンはスターターに定着することが予想されていましたが、ベンチプレーヤーに徹することになり、9.0得点9.4リバウンドとスタッツがかなり落ちてしまいましたが、効果的なディフェンスをしていたことが評価され、ベンチプレーヤーとしては非常に珍しいオールディフェンシブ1stチームに選出されました。しかし彼がベンチプレーヤーとして出場するようになったことを世間はチームが彼をトレードしようとしていると考え、ロッドマンのトレードのうわさが立ちましたが、チームはそれを一蹴しロッドマンをベンチに据えたままプレイオフに進出しました。この年ピストンズはセルティックスをスウィープしブルズを4勝2敗で破り、NBAファイナルでレイカーズをスウィープしてついに優勝を成し遂げましたが、このファイナルの第3戦でロッドマンは19リバウンドを記録し、インサイドディフェンスで大きくチームに貢献しました。

まとめ

いかがだったでしょうか。2年目の成長を糧にして3年目にスターターになっていれば確実にスーパースターダムを駆け上がることになっていたであろうロッドマンはあえてベンチプレーヤーとしてチームの底上げに貢献することに注力しました。若い選手としてこのような役割を受け入れられる選手は非常に珍しいですし、彼の幼少期や学生時代の経験が彼をこのような役割を受け入れられる人間に成長させてくれたのかなと思います。そう考えると彼の苦しい時期はNBA選手になるための試練として用意されたものだったのかなとも思え、非常に興味深いことです。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!