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【選手紹介】ニューヨークのレジェンド:パトリック・ユーイング(2/2)

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ニックスに尽くしたレジェンドの最後

前回では1994年プレイオフで悔しい敗北を喫したニックスとユーイングまでについて紹介しました。その後もユーイングは何度か栄冠に近づくことがありましたが、最終的には優勝を成し遂げることはできませんでした。今回はそんなニックスとユーイングについて紹介していきます。

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1995年プレイオフ~2度目のファイナル

前年の悔しい敗北を乗り越え、気合十分で新シーズンに挑んだニックスはアンソニー・メイソン、デレック・ハーパー、チャールズ・オークリー、ジョン・スタークスにユーイングと非常にバランスが良いチームを結成してシーズンを戦いました。47勝35敗とまずまずの成績を残し、チームの中心のユーイングは33歳ながら22.5得点10.6リバウンド2.4ブロックとイン大阿久と選手として活躍しました。プレイオフでは1回戦を難なく突破しましたが、2回戦のペイサーズ戦で苦戦を強いられ、第7戦のゲームを決めるユーイングのフィンガーロールがリングに嫌われ、惜しくも敗退してしまいました。

翌シーズンの1995~1996シーズン、ニックスは2番手として、SGのアラン・ヒューストンを獲得しました。アランは冷静な選手で感情を見せるタイプではなかったことからニックスファンに嫌われてしまい、チームになじむのに時間がかかりましたが、なじんでからは一転ニックスは好調を維持しシーズンを57勝25敗の好成績で突破しました。ユーイングは昨シーズンと変わらないレベルでプレーしていましたが、このシーズンのニックスにはアランがいたことオフェンスの幅が広がりニックスはかなりの強豪として見られていました。1回戦をスウィープで前評判通りに勝ち進んだニックスでしたが、この年は当時歴代最高勝率をたたき出した72勝ブルズと2回戦で対戦することになり、ニックスは1勝4敗の大差で敗れました。

次シーズン、35歳という年齢が少しずつユーイングのプレーのレベルを下げていましたが、それでも彼は平均20得点10リバウンド以上を達成しました。チームの2番手のアランは昨年から大きく成長し平均得点を18.4得点まで伸ばし、ニックスの2番手として確実な地位を確立しました。しかし、チームの中心のユーイングだけでなく、ディフェンス面で長くチームを支えていたオークリーも34歳とかなり年齢を重ねており、全体的にチームが高齢化していたニックスは失速し43勝39敗というギリギリ勝率5割でプレイオフに進出しました。1回戦のホーネッツ戦をスウィープで突破し、2回戦でヒートと当たったニックスは4戦終えた時点で3勝1敗のリードをとっていましたが、第5戦での乱闘が原因で流れが変わりそこからの3連敗で逆転負けしてしまいました。

翌年、ユーイングは12月20日のバックス戦でダンクに行った後に、バランスを崩し自分の利き手を下敷きにする形で落下してしまいました。これによってユーイングは手首を痛めてしまい、いくつかの手術を受けることになってしまいました。そしてこのシーズン今までの10年間で20試合しか欠場したことのなかったユーイングは56試合を欠場することになりました。奇跡的にプレイオフの2回戦で復帰することができましたが、ユーイングの復帰もむなしく、ペイサーズに1勝4敗で敗れてしまいました。

1998~1999シーズン、ユーイングは36歳になり明らかにキャリアの最終期に入っており、スタッツも平均17.3得点9.9リバウンドと特に得点面での衰えが顕著でした。この年はロックアウトにより50試合の短縮シーズンとなりましたが、ニックスは高齢化したチームながら新加入のラトレル・スプリーウェルやマーカス・キャンビーなどの選手がシーズン後半に活躍し、圧縮されたシーズンを戦い抜き最後には27勝23敗でプレイオフに出場しました。この年のニックスは「ミラクル・ニックス」として8位シードながらNBAファイナルに進出しました。ユーイングはケガによってシリーズ途中から欠場になってしまい、優勝のチャンスを1勝4敗で逃すことになります。

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ニックス最後の年~衝撃のトレード

1999~2000シーズンはユーイングにとって最後のニックスでのシーズンになりました。この年のユーイングは平均15.0得点9.7リバウンドとかなりスタッツが落ち、さらにスプリーウェルとアランが平均19得点前後を記録するようになったことでユーイングはついにチームの中心から退くことになりました。ユーイング中心のチームからSG中心のチームに変わったことで、ユーイングの負担は減りましたがそれでも37歳のユーイングには大きな負担がかかっていました。チームは東で3位の成績でプレイオフに進出し、再びカンファレンス・ファイナルに進出しました。しかし、この年も最後までペイサーズの壁を超えることができずシリーズを終えることになりました。そしてこのシーズンの後、フランチャイズプレーヤーのユーイングがトレードされ、ニックスの黄金期は終わりを迎えました。

次シーズン、スーパーソニックスへトレードされたユーイングはそこで1年プレーしたのちにマジックへ移籍し、そこでも1年を過ごしたのち、39歳でNBAを去り、17シーズンのキャリアに幕を閉じました。

まとめ

いかがだったでしょうか。ユーイングは時代とケガに翻弄され、そのキャリアに優勝を添えることができなかった選手としてもったいない選手として見られることもあります。しかし彼が個人として達成したことや、長きにわたって15得点10リバウンドを平均できていた長寿性を考えると彼がどれだけ偉大な選手だったかがわかってくると思います。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!