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【選手紹介】桜木花道のモデルとなったリバウンド王:デニス・ロッドマン(2/3)

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自殺を決心した狂人リバウンダー

前回は苦しい幼少期と評価されない学生時代を乗り越えてNBAに入ったロッドマンとロールプレーヤーとして目立ちにくい裏方役を担ったピストンズでの優勝シーズンまでについて紹介しました。前回でも述べたように彼は2年目にスターターに慣れるレベルの活躍を残しながらもその翌年にロールプレーヤーとしてプレーすることになった数少ない自己犠牲の精神を持った選手です。しかしチームを優先して自分を抑えることができる彼には凶暴な一面があり、それは後に彼を精神的に追い詰め最終的には自殺をしようとするほどまでにロッドマンを苦しめることになりました。今回はロッドマンのピストンズ後半時代からスパーズ時代について紹介していきます。

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DPOYシーズン~トレード要求

デトロイトでの初優勝を果たしたロッドマンは次のシーズン、チームがハッスルで貢献していたディフェンダーのリック・マホーンを失ったことで彼の代わりとしてハッスルとディフェンスで大きくチームに貢献しました。平均スタッツはそこまで変化がなく8.8得点9.7リバウンドでしたが彼のディフェンスが大きな原動力となりピストンズは59勝を残し、ロッドマンはそのリバウンドとディフェンスの能力が高く評価されて最優秀守備選手賞を受賞しました。プレイオフでは再びブルズを破り、ファイナルでは5戦でブレイザーズを倒して2連覇を達成しました。ロッドマンは足首のケガにより欠場が多かったですが、それでもチームの勝利に欠かせない選手として活躍しました。

そして次のシーズン、ロッドマンはついにスタートのSFとして定着し、相手にガードからセンターまでを守ることができる選手として活躍しました。この年は8.2得点12.5リバウンドを平均しましたが、数字よりも彼のPG~Cまでをディフェンスできる能力はチームの成功に大きく貢献しており、彼は2年連続で最優秀守備選手になりました。当然、プレイオフに進出したロッドマンでしたが、この年はリベンジに燃えるブルズにスウィープで敗れ3連覇を達成することはかないませんでした。

1991~1992シーズンロッドマンのリバウンダーとしての才能が開花しました。彼はこの年平均18.7リバウンドを記録してリバウンド王に輝き、この年からロッドマンは立て続けに7年連続で同タイトルに輝くことになります。また、彼はこの年ディフェンスが高く評価され、オールBA1stチームに選出されました。彼は1971~1972シーズンにチェンバレンが記録したシーズン通算1,572リバウンドに次いで、シーズンで1,530リバウンドを奪いました。彼は3月の試合で34リバウンドと驚愕の数字を記録し、歴史的なリバウンドシーズンを残しましたが、チームはプレイオフで返り咲くことはできず、ニックスに1回戦で敗退しました。

そしてロッドマンは勝てない時期が長く続いたことに不満を募らせ、プレシーズンキャンプを無断でスキップしました。彼はこの時期精神的に不安定な状況にあり、プレシーズンの行動によって罰金を払わされたことでついに自殺を考えるようになりました。1993年2月のある深夜にパレスオブオーバーンヒルズの駐車場でライフル片手に自殺をしようとしていたロッドマンでしたが、そのまま車内で眠ってしまいました。目覚めたときには警察官がおり、そこでロッドマンは「人の求める自分ではなく、自分がなりたい自分になろう」と決心し、10月1日にトレード要求が通りスパーズへ移籍することになりました。

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スパーズへのトレード~環境とのフィット

1993~1994シーズン、ロッドマンはロビンソンを中心としたチームに加入しました。ロッドマンはピストンズとは違いスパーズではPFとしてプレーするようになりました。この年ロッドマンは17.3リバウンドを平均し3度目のリバウンド王になり、オールディフェンシブチームにも選出されました。ロッドマンはスパーズに加入した時から「人の目を気にしない」を徹底するようになっており、彼は坊主に金髪という奇抜なスタイルやステイシー・キングとジョン・ストックトンに頭突きをしたりと、おっとりした選手が多くチーム的にも落ち着いているスパーズでは浮いてしまう存在として扱われるようになってしまいました。それでもチームは55勝と安定した強さを発揮しプレイオフに進出しましたが、1回戦でストックトンのいるジャズにスウィープされてしまいました。

次のシーズン、ロッドマンの破天荒な言動に我慢の限界が来ていたフロント陣とロッドマンは衝突するようになりました。ロッドマンはシーズン開幕から3試合をチームによって出場停止になり、12月にも再び出場停止を食らうことになりました。19試合を欠場したのちに12月10日に復帰することができましたが、彼は自転車の事故で肩をケガしてしまい49試合しか出場することができませんでした。しかしこのシーズンチームは62勝でリーグトップの成績を記録してプレイオフに進出しました。プレイオフ中もロッドマンのチームを乱すような行動は続き、HCのグレッグ・ポポビッチは直接の表現はせずとも明らかにロッドマンの行動がチームを乱し、それがファイナルでの惜敗につながったという態度を見せており、ロッドマンはオフにブルズへトレードされることになりました。

まとめ

いかがだったでしょうか。ロッドマンはリバウンダーとして、ディフェンダーとして非常に優秀な選手でしたが、彼の精神的な不安定さが彼の選手としての価値を大きく下げてしまいました。特にスパーズ時代はロッドマンの言動が1番悪かったとは思いますが、いわゆる「クレイジー」な男を受け入れてくれていたピストンズという環境から、決まりがすべてのようなスパーズという環境に移り、その環境が変わろうとしなかったことも悪かったと思います。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!