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【選手紹介】史上最強になるポテンシャルを秘めていたC:ビル・ウォルトン(3/3)

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ボストンでキャリアの大逆転を果たした元MVP

前回の記事ではシーズンMVPを受賞したビルがケガを原因にブレイザーズを去り、クリッパーズに移籍したもののキャリアの再生を果たすことはできず、そのままセルティックスへ移籍することになりました。この頃にはスターとして活躍していたころのビルは完全に鳴りを潜めていましたが、彼の能力を信じたセルティックスで彼は感動的な復活を果たすことができました。今回はそんなビルのキャリア終盤について紹介していきます。

f:id:koroUTAS:20211125210459j:plain最後の復活のチャンス~悲劇の引退

クリッパーズを去ることを決心した彼には前回紹介したようにレイカーズとセルティックスの優勝候補2チームからのアプローチがありました。そしてビルはセルティックスを選択し、ロバート・パリッシュとケビン・マクヘイルのバックアップとしてプレーすることを決心しました。実際には1985年9月にクリッパーズからセルティックスへトレードされる形で移籍したビルはボストンに身を置くことになりました。ボルトンに到着してから病院で受けたレントゲン検査で彼の足と顔の画像を見た医師たちはビルニップレーの許可を出すことができないと人事責任者のレッド・アワーバックに告げました。それを聞いてレッドは医師たちを「黙れ」と一蹴し、ビルに「プレーできるか」と一言だけ質問をしました。ビルは少し回答に戸惑いましたが、「まだプレーできると思う」とレッドに告げ、プレーを強行することを決めました。

そして迎えた1985~1986シーズン、ビルはHCのKC ジョーンズのもとでキャリアハイの80試合に出場しました。クリッパーズではまだスタープレーヤーとして使われていたビルでしたが、セルティックスでは完全にバックアップ選手として使われました。スタッツは大きく低下しましたが、彼はもとから高かったパス能力とリバウンド能力でチームに貢献し、その貢献が高く評価されてこの年にシックスマン賞を受賞しました。33歳で再びプレイオフの舞台に返り咲いたビルは18.2分の出場で平均7.9得点6.4リバウンド1.7アシストを平均して、少ないプレータイムながらセルティックスのベンチプレーヤーとして大きく活躍して2つ目のチャンピオンリングを手に入れました。のちにこのチームのエースだったバードはビルの加入とこの年のチームについて「ビルが健康でいられるか不安だったけど彼がチームの大きな力になることは分かっていた。今までのチームで1番のチームだった。」と評価しており、ビルがチームにとって重要な存在だったことが分かります。

優勝した翌シーズン、ビルは健康だった昨シーズンとは対照的にケガが原因でレギュラーシーズンでは10試合しかプレーすることができませんでした。プレイオフには何とか間に合い復帰することができましたが、度重なったケガによってついに彼のパフォーマンスは過去最低の水準まで落ち、プレイオフ12試合でわずか8.5分の出場で2.4得点2.6リバウンドと完全に選手としての限界を迎えていました。

その後も何度か復帰を目指していたビルでしたが、ついに彼自身も身体の限界を悟り1990年に引退を表明しました。ビルはキャリア全体で468試合に出場しFG52.1%で13.3得点10.5リバウンド3.4アシスト2.2ブロックを記録し、シーズンMVP、ファイナルMVP、シックスマン賞の3つを受賞した史上初の選手としてその偉大なキャリアに幕を閉じました。

まとめ

いかがだったでしょうか。ビルはクリッパーズに移籍してからは完全に落ち目の選手として見られ、セルティックスに移籍した時も世間からは期待の声よりも疑問の声の方が多く上がりました。しかし彼はそんな世間の評価を良い形で裏切りました。彼はシックスマン賞というベンチプレーヤーとしての最高の栄誉を得て、チャンピオンリングというチームとしての栄冠に貢献しました。最後は残念な形で終わってしまいましたが、彼のキャリアを振り返るとそんなことは気にならなくなってしまうほど偉大なキャリアでした。

このブログではNBAの歴代選手や歴代チームの紹介をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!