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【選手紹介】アジア史上最強のNBAプレイヤー:ヤオ・ミン(1/3)

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アジア最強のビッグマン

中国からNBAに挑戦し、短い期間でしたが圧倒的な実力を見せつけたヤオ・ミン。彼はケガが原因でキャリアが非常に短くなってしまいましたが、トレイシー・マグレディとコンビを組んでロケッツをプレーオフ常連チームへと押し上げました。出場制限が原因となり満足にプレーできなかった2010年以外の年のすべてでオールスターに選出されたヤオの実力は本物であり、2016年にはバスケットボール殿堂入りを果たしています。今回はヤオの偉大なキャリアの序盤について紹介していきます。

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天賦の才能と体格を持つ青年〜過小評価されたルーキーシーズン

1980年に上海で生まれたヤオは13歳になる頃には身長が200cmを超えており、ジュニアチームでの4年間のプレーを終えた後に1997年にCBAリーグのシャークスでプロとしてのキャリアをスタートさせました。ヤオはプロとしての最初の5年間をCBAでプレーし、3年連続のリバウンド王とブロック王、1度のファイナルMVPとシーズンMVPを受賞しました。彼はCBAだけでなくFIBAワールドカップでも活躍しており、NBAでの高順位指名が予想されるまでの選手になっていました。しかし中国とのチームの契約の問題があり、ドラフトで指名するリスクが非常に高い選手としても知られていましたが、最終的にヤオは2002年NBAドラフトで1位指名を受けました。

当時のNBAでは露骨な人種差別が残っており、ドラフトのときにヤオはブーイングを受け、何人かのコメンテーターにはアジア人だからNBAでは失敗するだろうと言われていました。実際ヤオはアメリカ文化に馴染むのに時間がかかり、NBAでのデビュー戦では無得点、そして最初の7戦を平均14分間出場、4得点で終えました。バストになる可能性が高くなっていたヤオでしたが、11月17日のレイカーズ戦で9本のFGをすべて沈め、2本のFTも決めきりいきなり20得点をスコアして世間を黙らせました。そしてこの瞬間から順調に活躍を続けていたヤオは1月17日にレジェンドCのシャックと初対決に臨みました。ヤオは試合開始するや否やロケッツの最初の6得点を取り、シャックを2回ブロックしました。この試合でヤオはシャックのディフェンスに苦戦し10得点に終わりましたが10リバウンドと6ブロックを記録し、ディフェンス面で大きなインパクトを見せつけました。このパフォーマンスはヤオのNBAでの人気を爆発的に高め、ヤオはルーキーシーズンにいきなりオールスターのスターターとして選出されました。ヤオはこのシーズンを平均13.5得点8.2リバウンド1.8ブロックで終え、新人王こそアマレ・スタダマイアーに奪われましたがオールルーキー1stチームに選出されロケッツの将来を担う存在として注目されるようになりました。

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2年目シーズン~オールNBAプレイヤーへの成長

ヤオはしっかりと結果を残したルーキーシーズンを終え、ソフォモアシーズンを迎えようとしていましたがチームのHCだったルディ・トムヤノビッチが健康上の問題により辞任し、新HCのジェフ・ヴァンガンディーが就任することになりました。彼のゲームプランはヤオのポテンシャルを最大限に引き出すことができ、平均17.5得点9.0リバウンド1.9ブロックを記録して特にオフェンス面で大きく成長しました。2月のホークス戦では3度のオーバータイムの中で41得点7アシストを記録し、個人としての存在感を大きく伸ばしたヤオはまたしてもオールスタースターターに選出され、シーズン終了後にはオールNBA3rdチームに選出されました。この年ロケッツはヤオが加入してから初めてのプレイオフに進出しましたが、ヤオはレイカーズとの1回戦で平均15.0得点7.4リバウンド1.4ブロックとパフォーマンスを落として5戦でシリーズを敗退してしまいました。

そして2004~2005シーズン、ヤオを中心選手として据えたロケッツは彼と共にチームを引っ張るもう1人のエースプレーヤーとしてマジックとのトレードでトレイシー・マグレディを獲得しました。このトレードには7人の選手がかかわっており、このことからもロケッツの本気さが感じられました。ヤオはこのトレードについて、「スティーブ・フランシスとカッティーノ・モーブリーは本当に自分を支えてくれていた。だけどマグレディは素晴らしいプレーをする選手であり一緒にプレーするのか楽しみだ」と述べており、2人の関係は良い状態でスタートしました。このコンビはチームを一気に優勝候補に押し上げ、2人ともオールスターのスターターに選出され大きな期待を背負っていました。この年ヤオはオールNBAチーム選出を逃しましたがそれでもリーグ屈指のCとして活躍し、相棒のマグレディはオールNBA2ndチームに選出され、51勝を記録して5位シードとしてプレーオフに進出しました。ヤオはプレイオフ平均21.4得点7.7リバウンド2.7ブロックを記録してスーパースターレベルでプレーしましたがマグレディが絶不調に陥り、第7戦でシリーズを敗退してコンビ結成1年目シーズンを終えました。

まとめ

いかがだったでしょうか。ヤオはアジア人だからNBAでは成功できないという先入観を打ち破って1年目から活躍し2年目以降にはスター選手まで駆け上がりました。チームはヤオの周りに優秀な選手をそろえることができずに苦戦していましたが、このマグレディのトレードがロケッツを数年にわたって優勝を期待できるようなコンビを結成するきっかけとなりました。

このブログではNBAの歴代選手や歴代チームについて紹介しています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!