NBA Watcher 【毎週投稿】

NBAの歴代選手や歴代チームの紹介などをするブログです。

【選手紹介】晩年に報われた万能PG:ジェイソン・キッド(3/3)

にほんブログ村 その他スポーツブログへ にほんブログ村 その他スポーツブログ NBAへ にほんブログ村 その他スポーツブログ バスケットボールへ にほんブログ村 その他スポーツブログ その他スポーツ情報へ

f:id:koroUTAS:20211010134817j:plain

運命の帰還を果たした百戦錬磨のPG

前回はネッツでチームを牽引したキッドの選手としての全盛期について紹介しました。ネッツではチームをいきなりファイナルに進出するまでに成長させましたが、最後はケガに悩まされることになりました。そんな彼をネッツは古巣のマーベリックスにトレードすることにしましたが、そこでキッドは初の優勝を成し遂げることになります。今回はキッドの選手としてのキャリアの最終期について紹介していきます。

f:id:koroUTAS:20211010135658j:plain

大きな期待を背負った移籍~時代の変化

2008年12月、トレードに含まれる選手の契約の問題などがあり、予想よりも困難になったトレードですが無事に成立しキッドは古巣のマーベリックスに戻ることになりました。新人の時は若さゆえの無責任な行動とそれによるチームケミストリーへの影響が迷惑がられトレードされてしまったキッドですが、今回は実績を積み重ね、特にネッツでのチームへの影響力を見てチームはキッドにチームの精神的支柱になりフランチャイズプレーヤーのノビツキーの助けになることを期待していました。その期待通りチームは強くなり51勝31敗の成績を残しましたが、この年のイースタンカンファレンスは非常に競争が激しくこの成績でもマーベリックスは7位でプレーオフに進出することになりました。堅実な強さを誇っていたマーベリックスですが、1回戦でクリス・ポール率いるホーネッツと対戦し、1勝4敗で敗れ期待を裏切る形で1回戦敗退になりました。

翌年、マーベリックスはシーズン開始15試合を7勝8敗でスタートし心配されましたが、キッドは2.0スティールを平均しここ6年では最も多い平均スティール数を記録し、この数字はリーグで3位でした。チームは最終的にシーズンを50勝32敗の6位で終えプレーオフ1回戦ではスパーズをアプセットし2006年ぶりに2回戦に進出しました。1回戦でキッドは1試合を除きすべての試合でチームトップのアシストを記録しチームの番狂わせに貢献しました。しかし2回戦ではナゲッツに1勝4敗で敗れ、またしてもキッドはチームをファイナルに導くことはできませんでした。

2009年6月、ニックスに契約の話を持ち掛けられていたキッドはマーベリックスと3年の再契約を結ぶことにしました。55勝27敗の2位でプレーオフに出場することができましたが、チームは1回戦のスパーズ戦で敗れファンの期待を裏切る形になりました。キッドはこのシリーズの第5戦と第6戦でインフルエンザにかかっていたことが噂されていましたが、キッドはそのことを隠し通し、噂の真偽が明らかになることはありませんでした。

2010~2011シーズン、ノビツキーがシーズン中盤でのケガとカロン・バトラーがシーズン終了の手術を受けたことで一時的にチームの中心はキッドになりました。年齢が重なった38歳のキッドでしたが、ベテランとしてチームを牽引し、キッドが加入してから最高の57勝25敗でシーズンを終えました。プレイオフに進出しチームは1回戦でブレイザーズと対戦しました。キッドは最初の2戦で合計42得点を記録し4勝2敗で2回戦に進むと、前年チャンピオンのレイカーズをスウィープで破りました。このシリーズでキッドは相手エースのコービーをマークし、身体能力では負けていましたが、経験でその穴を埋め確実に彼を止めることができました。そしてカンファレンス・ファイナルで若手中心のOKCサンダーと対戦し、ここでもキッドはデュラントとウェストブルックを徹底マークし、4勝1敗で突破しついにファイナルに進出しました。ファイナルはウェイド、レブロン、ボッシュの「3キングス」率いるヒートで、スターパワーで劣るベテラン軍団のマーベリックスは若く才能が集まるヒートにスウィープで負けることが世間大多数の予想でした。実際最初の2戦を落とし、ノビツキーの高熱もあり苦戦したマーベリックスですが4勝2敗で世間が予想しなかった逆転優勝を達成しキッドとノビツキーはともに初の優勝を成し遂げました。キッドはプレイオフで9.3得点7.3アシスト4.5リバウンド1.9スティールを平均し、史上最年長の優勝したスターターになりました。

翌年、ロックアウトにより短縮されたシーズンで、39歳になったキッドは得点アシストリバウンドの3つのスタッツでキャリア最低を平均し、プレイオフではOKCサンダーにスウィープ負けを喫し、キッドのマーベリックスでのプレーはこの年で最後になりました。

2012年6月、キッドはニックスと契約し、ジェレミー・リンのメンターになることを期待されていましたが、リンはロケッツにトレードされてしまい、その結果キッドはマイク・ウッドソンと共にスタートSGとしてバックコートコンビを結成することになりました。最初の2か月キッドは44%以上の確率で3PTを沈め平均9.0得点を記録しチームも18勝5敗の成績を残しましたが、40歳近いキッドは平均33分以上の出場をすることになり、スターターとしてプレーし続けた疲れは明らかになっており、54勝18敗でプレーオフに進出しましたが、キッドは12試合出場のうち10試合を無得点で終える結果になり2回戦で姿を消しました。そしてグラント・ヒルが引退を表明した2日後の6月3日にキッドは引退を表明し、2000年代を代表する2人は同じ時期に引退することになりました。

まとめ

いかがだったでしょうか。ネッツで優勝を狙えたはずのキッドは古巣のマーベリックスでわずかな望みをつかみ優勝することができました。38歳でチームに貢献することは非常に難しく、そのうえでチームの核として活躍していたキッドはやはり歴史に残る屈指のPGでしょう。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!