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【選手紹介】知名度の低いレジェンドC:ジェリー・ルーカス(2/2)

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ニューヨークで優勝を果たすことができたレジェンド

前回の記事で紹介した時点ではルーカスは高校で始めたばかりのバスケットボールで、世界最高峰のリーグとされるNBAで世代最高レベルの選手として活躍していました。しかし自身のケガや他チームのメンバー構成が大きな原因となり優勝を達成することができていませんでした。では今回はルーカスがニューヨークでついに優勝を達成し、そしてレジェンドとして引退するまでのキャリアについて紹介していきます。

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チャンピオンシップに挑戦し続けた将来のレジェンド~ニューヨークでの新たなスタート

自身のケガによって悔しい敗戦を経験したルーカスはリベンジを決心して1965~1966シーズンに挑みました。彼は前年の平均43.4分を超える44.5分間プレーし続け、21.5得点21.1リバウンドを記録しました。チームの本拠地で行われたオールスターゲームで26得点19リバウンドを記録したルーカスはこのパフォーマンスが高く評価されオールスターMVPを受賞しました。この頃には体重が113kgほどまで増加しており、ビッグマンとしてのコンディションが不安視されていましたが、それでも彼はリーグ最強のビッグマンの1人として活躍していました。安定したパフォーマンスでロバートソンと共にチームを引っ張りプレイオフに進出しましたが、またしても彼は背中を不慮の事故でケガをしてしまい1回戦のセルティックス戦で敗退することになりました。

このシーズンの後、チームは低迷し始め勝てないチームにストレスを感じていたルーカスはオフコートでの活動に力を入れ始めました。彼は投資に没頭するようになり、主にファストフードチェーンに投資するようになりました。彼の思惑は当たり彼は当時のリーグの中では2,3人しかいなかった億万長者の1人になり、玩具やゲームを販売する会社を立ち上げるまでに自身の経済的な価値を上げることに成功しました。

会社経営や投資にリソースを割き始めたといっても彼のコートでの実力は全く衰えておらず、ケガから完全復帰した1967~1968シーズンには82試合すべてに出場し、FG51.9%で平均21.5得点19.0リバウンドを記録していました。チェンバレンに次ぐリーグ2位のリバウンド数と出場時間を記録していたルーカスを擁したロイヤルズでしたが、ハッピー・ハーストンが48試合、ロバートソンが65試合と中心選手の欠場が目立ちプレイオフに出場することはできませんでした。

そしてここからアメリカ経済が困窮するという事態に陥ったことで、ロイヤルズは崩壊の一途をたどることになり1971年にルーカスはニックスにトレードされてしまいました。この頃にはリーグトップの正確さを持ったスコアラー、そして最高のリバウンダーとして知られていたルーカスは、ウォルト・フレイジャーのアウトサイドシュートによって広がったスペースを利用したポストプレーで31歳ながら相手を圧倒するようになりFG51.2%で平均16.7得点13.1リバウンドを記録しました。プレイオフではさらにパフォーマンスを上げ、レイカーズとのファイナルでは20.8得点9.8リバウンド6.2アシストを平均したルーカスでしたが、チェンバレン・ウェスト・グッドリッチのBIG3に1勝4敗で圧倒され優勝を逃してしまいました。

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ついにつかんだ優勝~衰えの激しかったラストシーズン

ニックスでの2年目、今までビッグマンとして負担のかかる長時間のプレーと重めの体重に身体が耐えきれなかったのか、この年からルーカスのパフォーマンスは大きく落ちていきました。彼はベンチプレーヤーとして出場するようになり28.2分間の出場で平均9.9得点7.2リバウンドを記録しました。スコアラー、リバウンダーとしてチームに大きく貢献することが難しくなったルーカスでしたが、彼は大学時代から得意だったパスに注力するようになり、このシーズンにキャリアハイの4.2アシストを平均しました。プレイオフではさらにパフォーマンスが落ちプレータイムが少なくなったルーカスでしたが、ビッグマンとしては非常に高いFT87.0%を記録し、確実に得点できる選手として活躍してレイカーズを4勝1敗で降してついにNBA優勝を成し遂げました。

ディフェンディングチャンピオンとして迎えた1973~1974シーズン、ルーカスは72試合に出場しましたが、すでに体は限界を迎えており大きく実力が落ちました。今まで50%を超えていたFG%も46.2%まで低下し、FTでも69.8%とお世辞にもプラスの選手として見ることはできなくなっていました。そして終わりを感じたルーカスは翌シーズンに引退し、そのキャリアに幕を閉じました。

まとめ

いかがだったでしょうか。ルーカスは長い間リーグトップクラスの選手として活躍し、ベンチ出場になったニックスでも自分の強みを理解してパスで貢献することができた非常に頭の良い選手です。彼はキャリア通算で5回のオールNBAチーム選出(3回の1stチーム、2回の2ndチーム)、7回のオールスター選出、1回のNBAチャンピオン、1回のオールスターMVPを受賞した優秀な選手です。同世代にラッセルやチェンバレンがいたせいで正当な評価を受けることが少ない選手ですが、実績やインパクトは2人に負けずとも劣らないので興味があれば調べてみてほしい選手の1人です。

このブログではNBAの歴代選手や歴代チームの紹介をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!