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【選手紹介】知名度の低いレジェンドC:ジェリー・ルーカス(1/2)

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ニューヨークで優勝した優秀なビッグマン

ジェリー・ルーカスはキャリアでNBAチャンピオン、7度のオールスター、1度のオールスターMVPなど数多くの実績を残しているレジェンドながら、チャンバレンやラッセルなど2人の歴代最強選手候補がいた1960年~1970年代にプレーしたことによってどうしても知名度が低くなってしまう選手です。今回はそんな同世代選手によって実力と知名度が反比例しているジェリー・ルーカスのキャリアについて紹介していきます。

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瞬時に花開いた才能~プロへの挑戦

オハイオ州ミドルタウンで生まれ育ったルーカスは高校2年の時にバスケットボールを始め、15歳ながらリングに手が届くどころか見下ろすような形でプレーをすることができるような選手でした。プレーし始めた最初の頃はパスや長身を生かしたリバウンドでチームに貢献していましたが、少しずつスキルを身につけスコアラーとしても驚異的な選手として成長しました。身長や身体能力が高かったことでルーカスは周囲のディフェンダーを無視するような形でシュートをすることができ、高校では平均FG60%で合計2460得点を記録しました。彼の高校はルーカスのいた3年間で76勝1敗の記録を樹立し州チャンピオンに2年連続で輝きました。

高校で十分な実績を残したルーカスはジョン・ハブリチェックと共にオハイオ州立大学でプレーすることを決断しましたが、当時の大学スポーツでは1年目のプレイヤーはNCAAの試合に出ることが禁じられていたためルーカスは1959~1960シーズンにデビューしました。NCAA初シーズンとなったこの年、彼が率いたオハイオ大はトーナメントで優勝し、トーナメント平均で26得点16リバウンドを記録していたルーカスは最優秀選手賞を受賞しました。

翌年もNCAAトーナメントに出場したルーカスはトーナメント史上初の1試合30得点30リバウンド以上を記録した選手となりました(33得点30リバウンド)が、決勝戦でシンシナティ大学に65対70でアプセットされてしまいトーナメントを2連覇することはできませんでした。

そして大学最後のシーズン、2年目のシーズン・オリンピック・3年目のシーズンと2年間通してプレーし続けたルーカスはチームを3年連続のNCAA決勝に導きました。しかし準決勝のウェイクフォレスト大学との試合でケガをしてしまったルーカスは、そのままリベンジ戦のシンシナティ大学との試合に臨むことになりました。元々ルーカスは大学を卒業してからプロとしてのキャリアを歩むつもりはなく、シンシナティ大との試合が最後の試合になると覚悟をして戦いました。しかし彼のその覚悟も空しくケガによって普段のパフォーマンスを発揮することができなかったことによってまたしてもシンシナティ大に敗れてしまい大学最後のシーズンを悔しい形で締めくくることになってしまいました。しかし彼の大学での活躍は圧倒的なものであり、現在でも歴代最高の大学生プレイヤーとしての評価を受けるようになりました。

大学を卒業した後はプロとしてプレーしないことを決心していたルーカスでしたが、オリンピックや世界大会でNBA選手や後にNBA選手となったプレイヤーたちとプレーしたことをきっかけにルーカスはプロとしてのキャリアに興味を持つようになり、当時ABLという別リーグにドラフトされたルーカスはそこでプロとしてのキャリアを歩み始めました。ABLで期待を超えるような結果を残したルーカスをNBAのチームが見逃すはずもなく、1962年にシンシナティ・ロイヤルズにドラフトされました。f:id:koroUTAS:20211121214945j:plain

優勝を逃したルーキーシーズン~オールスターMVPシーズン

1962年にドラフトされたルーカスは1963年の8月に正式にチームと契約を締結しました。当時のロイヤルズにはオスカー・ロバートソン、ウェイン・エンブリー、ジャック・トゥィマンの3人のオールスター選手がおり、そこにルーカスというすでに実績ある選手を獲得したチームは優勝を期待されるようになりました。このシーズン、ルーカスは20得点を何度も記録し、4回の30リバウンドゲームと1回の40リバウンドゲームを記録して圧倒的なルーキーとして活躍し、新人王受賞といきなりのオールNBA2ndチーム選出を受けました。絶対的な戦力を追加して破竹の勢いでNBAファイナルに進出したロイヤルズでしたが、背中をケガしたままプレーしたルーカスのパフォーマンスは明らかに落ちており、惜しくもこの年は優勝を逃してしまいました。

そうして迎えた2年目シーズン、ルーキーシーズンではリバウンドとパスでチームに貢献しようとしていたルーカスでしたが、スコアラーとしての活躍をより求められるようになり、このシーズン平均21.4得点を記録しチーム2番目のスコアラーとして活躍するようになりました。また、平均20.0リバウンドを獲っていた彼はある意味ロバートソンよりもチームにとって大切な存在として見られており、その証拠にこのシーズン彼は平均43.4分間プレーしていました。ビッグマンとして致命的な膝の故障に苦しんでいたルーカスでしたが、抗炎症薬の処方によって何とかプレーすることができていました。プレイオフでは1回戦でチェンバレン擁するシクサーズに敗れてしまいましたが、平均48.8分のプレーでFG50.7%で23.3得点21.0リバウンドを記録し個人としてはしっかり活躍していました。

まとめ

いかがだったでしょうか。ルーカスは高校2年生でバスケットボールを始めた経験の少ない選手ながら、NBAでもいきなり大きなインパクトを残すことができた数少ない選手です。2年目の時点で膝の痛みを抱えてしまい今後のキャリアに暗雲が立ち込めることになりますが、どのようなキャリアを送っていったのでしょうか。

このブログではNBAの歴代選手や歴代チームについて紹介しています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!