NBA Watcher 【毎週投稿】

NBAの歴代選手や歴代チームの紹介などをするブログです。

【選手紹介】才能にあふれたPF:クリス・ウェバー

にほんブログ村 その他スポーツブログへ にほんブログ村 その他スポーツブログ NBAへ にほんブログ村 その他スポーツブログ バスケットボールへ にほんブログ村 その他スポーツブログ その他スポーツ情報へ

f:id:koroUTAS:20210922201003j:plain

夢のようなPFクリス・ウェバーの悲しくも賞賛すべきキャリア

今回のバスケットボール殿堂入りでついに何度も選考から惜しくも落ちていた殿堂入りを果たしたウェバー。大学では1年ながらエースとして大活躍し、ルーキーながらスーパースターの風格を醸し出してNBAキャリアをスタートさせました。

しかしながら彼のキャリアはファンが思っていたような輝かしいものにはなりませんでした。しかし彼が歴史に名を遺すほどの選手であることは殿堂入りを果たしたことからも明白です。今回はそんなウェバーのキャリアについて解説していこうと思います。

f:id:koroUTAS:20210922201857j:plain

大学時代~ワシントン・ブレッツ時代

高校生の時から全米高校の年間最優秀選手に選ばれ、ミシガン州のミスター・バスケットボールにも選出されたウェバーはそのまま地元のミシガン大学に進学し、1年生の途中からスターターとして定着しそのままエースとしてNBAドラフトにエントリーする2年の終わりまで大学バスケ界のスターとしてプレーしました。ジョシュ・ハワード、ジェイレンローズなど1年生のみのスターターで通称「ファブ・ファイブ」と呼ばれたこのチームは最後までNCAAトーナメントを制することはできませんでしたが、大学で十分な実績と注目を集めたウェバーは1993年NBAドラフトで全体1位でマジックにドラフトされ、そのあとすぐに3位指名権でペニーを指名したウォリアーズとトレードされました。

1年目からウォリアーズの先発としてプレーし、17.5得点9.1リバウンド3.6アシスト2.1ブロックFG55.2%を記録し鮮烈なルーキーシーズンを送ったウェバーは新人王を受賞し、チームを50勝32敗の好成績に導きました。しかし、2年目にはHCのドン・ネルソンとの間で軋轢が生まれ不満を持っていたウェバーはトレーニングキャンプに参加しないなどチーム内を乱し、わずか1年でワシントン・ブレッツにトレードされることになりました。

そしてブレッツにトレードされたウェバーはチームに大学同窓のハワードがいたことで大学時代のような活躍をするのではないかと予想されましたが、キャンプ不参加が原因となったのか調子が思ったように上がらず平均20.1得点9.6リバウンド4.7アシストと思っていたほど数字が伸びず試合数も54試合と少なめなシーズンになりました。

3年目のシーズンには、23.7得点7.6リバウンド5アシストを平均しスタッツは伸びましたがこの年は肩のケガでわずか15試合のみのプレーに留まりました。そして迎えた1996~1997シーズン、ウェバーは20.1得点10.3リバウンド4.6アシスト1.9ブロック1.6スティールを平均し自身初のオールスターに選出されました。チームを9年ぶりのプレイオフに導きこの年初めて彼の能力がチームの成功につながることが証明されたシーズンになりましたが、プレイオフではジョーダンのいるブルズと対戦し悔しいスウィープ負けになりました。

自信は安定して平均20得点9リバウンド以上を平均しているのにチームが勝つことができない状況に不満を持っていたウェバーは1997~1998シーズンにもプレーオフを逃しついにトレードを要求し、キャリアの転機となるサクラメント・キングスにトレードされることになりました。

f:id:koroUTAS:20210922204509j:plain

サクラメント黄金時代~引退

そしてトレードでキングスに加入したウェバーは移籍1年目の1998~1999シーズンに今までプレーしたことのないタイプのPG、ジェイソン・ウィリアムスにより才能を引き出され大活躍しオールNBA2ndチームに選出され、リバウンド王にもなりました。チームをプレーオフに導き、2年連続でファイナルに出場していたジャズを破る番狂わせを起こしました。

次シーズン、ウェバーは27.1得点11.1リバウンド4.2アシスト1.7ブロックを記録しチームを55勝27敗に導きました。個人としてはオールスターとオールNBA1stチームに選出されMVP投票では4位になり素晴らしいシーズンを送りました。しかしながらプレーオフでは第2回戦でシャック&コービーのレイカーズにスウィープされ力の差を見せつけられました。

2001~2002シーズン、ウェバーはケガに悩まされ28試合のみの出場に留まり、それにもかかわらずチームは61勝を挙げたことによりウェバー不要論がささやかれるようになりましたが、この年も24.5得点10.1リバウンド4.5アシストを平均しオールNBA2ndチームに選出されプレーオフではカンファレンス・ファイナルに出場しました。ここでは2年連続でレイカーズと対戦し3勝2敗でリードしていましたが、ここから後々発覚する八百長によってキングスは偏ったファールコールに苦しみ、逆転負けを喫しファイナルに進出することはできませんでした。

翌年、67試合に出場したウェバーは23得点10.5リバウンド5.4アシストを平均し2年連続でオールNBA2ndチームに選出され、チームもプレーオフに進出しました。しかし第2回戦でウェバーは左膝半月板を損傷しシリーズ復帰をすることはありませんでした。そしてこの翌年からウェバーのキャリアは落ち目になっていきます。

2003~2004シーズンには開幕から49試合を半月板損傷により欠場し、その間チームは好調なシーズンを送っていました。そしてこのチームの好調によりますますウェバー不要論が強調されることになりました。2月に復帰を果たしたウェバーでしたが、ブランクのせいからかミスを連発しプレーオフでも不調が続いたことでまたも第2回戦敗退の結果に終わりました。

そして次シーズン、46試合出場した時点でチームの中心をマイク・ビビーとペジャ・ストヤコビッチに任せることにしたチームはついにウェバーの放出を決定し、76ersにウェバーは放出されました。

76ersでウェバーはトレード後1年間は20得点を記録する活躍をしましたがチームがエースのアイバーソンを放出し再建に向かうとともにまだスターレベル前後で活躍できていたウェバーは不要になり、デトロイト・ピストンズに放出されました。そしてピストンズでもプレーはさせてもらっていましたが、必要とされなかったウェバーは古巣のウォリアーズと最低保証契約を結びましたが衰えを隠せず2008年に引退しました。

まとめ

いかがだったでしょうか。キャリアの輝かしい部分と落ち目の部分の落差があまりにも激しかったことで彼のキャリアはマイナスのイメージが強く残っているのも事実ですが冷静に彼の残した成績や受賞歴を見ると普通の選手には成し遂げられないことをしています。

このブログではNBAの分析や考察をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!