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【選手紹介】史上最高クラスのSF:エルジン・ベイラー(1/2)

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優勝もMVP受賞経験もない史上最高レベルのSF

エルジン・ベイラーと言えばNBA史上屈指のSFとして評価を受けながらも、優勝もMVPを受賞したこともない選手です。しかし彼はNBAに初めて空中戦という概念を持ち込んだプレーヤーとして非常に高い評価を今でなお受けているプレーヤーです。古いプレーヤーなので彼のすごさを知っている人は少ないと思いますが、彼は間違いなく史上トップ10に入るようなSFとして活躍しました。今回はベイラーの数奇なキャリアについて紹介していきます。

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幼少期~大学時代

ベイラーはワシントンに生まれ、14歳の頃にバスケットボールを始めましたが、彼の身体能力と跳躍力は同性代の中でずば抜けており、「ラビット」というあだ名がつけられるようになりました。彼はアフリカンアメリカンの人間であり、当時は人種差別が露骨に行われている時代であったため、ベイラーはその才能をジムやチームで発揮することを妨げられていました。彼はフェルプス・ボケーショナル高校で2シーズンプレーしましたが、彼は黒人選手として白人選手擁するチームとの試合に出場することが禁じられていたせいで黒人選手のみのチームとしか対戦することができませんでした。しかしながら彼のバスケの才能は明らかなものであり、彼は1年目に18.5得点、2年目には27.6得点を記録するほどの選手として活躍していました。バスケ面では圧倒的な実力を持っていたものの、学力面では彼は成績を残すことができず、高校を退学処分となり、地元の小さなリーグでプレーを続けることに決めました。

ベイラーの地元リーグでの活躍が目に留まり、オールブラック・スピンガーン高校でプレーすることができました。彼は史上初のワシントン・オールメトロポリタンに選出され、このシーズン彼は驚異の36.1得点を平均しました。1954年2月の古巣フェルプスとの試合では悔しさを力に変えて63得点を記録しましたが、彼の人種的な問題を考慮して多くの有名大学は彼をチームに引き入れることに躊躇しました。

しかし彼の可能性と才能を見て、アイダホ大学は彼のチームに入れることを決心しました。彼は大学に入った当初バスケとサッカーの二足の草鞋でプレーすることを予定していましたが1年目のシーズンでいきなり平均31.3得点を平均しこの結果を受けてベイラーはシーズン途中でシアトル大学に転校することを決定しました。のちのロサンゼルス・レイカーズとなるミネアポリス・レイカーズは1956年のドラフトでベイラーを全体14位指名でドラフトしましたが、彼はドラフト後も大学でプレーし続けることを選択し、彼が実際にレイカーズに加入するのは1958年ドラフトでの指名を受けてからでした。

このアイダホ・シアトル大学でプレーした1年で彼は196㎝の身長ながら29.7得点20.3リバウンドを平均し、次のシーズンには平均得点を大きく伸ばし32.5得点を平均しました。このベイラーの大学での活躍と驚異的な身体能力を評価したレイカーズはついに彼を1958年ドラフトで1位指名権を使ってドラフトし、チームの将来を任せる存在としてベイラーに大きな期待を寄せることになりました。

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ルーキーシーズン~ソフォモアシーズン

ベイラーがレイカーズに加入する前チームはジョージ・マイカンを中心選手として据えた強豪チームでしたがマイカンが引退してからはチームの核を見つけることができませんでしたが、その穴を埋めることができる選手として見事にベイラーをドラフトすることができました。ベイラーは1958~1959シーズンにルーキーシーズンを迎えましたが、彼がドラフトされる前年のレイカーズは19勝53敗しか残すことができなかった弱小チームでした。しかし彼は1年目に24.9得点4.1アシスト15リバウンドを平均しいきなりオールスターに選出されると、チームを33勝39敗の成績まで引き上げました。このシーズン彼はルーキーながら1試合で64得点を記録し、1年目選手ながら将来のMVP・殿堂入りを約束されたような選手として活躍していました。チームは下位シードとしてプレイオフに進出しましたが、1年目にしてベイラーの運動能力はリーグトップクラスであり、彼は平均25.5得点3.3アシスト12.0リバウンドとスコアリングでさらなる飛躍を遂げいきなりチームをNBAファイナルに導きました。優勝こそ逃しましたが、彼の1年目の活躍はファンやフロントに将来の優勝を確信させるようなものであり、彼は経済的に不安定な状態に陥っていたチームを救うこともできました。

翌シーズン彼はさらに平均スタッツを伸ばし、29.6得点3.5アシスト16.4リバウンドを記録しました。ベイラー自身は成長することができたシーズンになりましたが、チームは大きく成績を落とし、25勝50敗という創設以来2番目に低い勝率を記録しました。しかし、プレイオフではチームはプレイオフ2回戦まで勝ち進むことができましたが、予想外の快進撃もここまでとなり、NBAファイナルに進出することはできませんでした。

まとめ

いかがだったでしょうか。ベイラーは1年目からMVP級の選手として活躍していましたがプレイオフで結果を残すことができませんでした。彼自身は絶対的な選手として活躍していましたが、周りの選手を補強することができなかったことが彼の成功を阻んでいた大きな要因です。この後に紹介することになりますが彼は時代に恵まれなかった選手として見られても仕方ないようなキャリアを歩むことになります。しかしそれでも彼の優秀さは変わりませんので是非彼について知っていただきたいです。

このブログではNBAの歴代選手や歴代チームの紹介をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!