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【選手紹介】2000年代前半を代表するピュアシューター:ペジャ・ストヤコビッチ(1/2)

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2000年代前半のキングスを支えたもう一人のピュアシューター

2000年~2010年頃までのシューターと言えばレイ・アレンがまず話題に上がると思います。しかし、彼以外にもう一人優秀なシューターを挙げるとすればそれはほとんどの人がペジャ・ストヤコビッチを挙げると思います。彼はアレンはボストンに移籍するまでのチームではシューターというよりもシュートの得意なスコアラーという役割を務めていましたが、ペジャはNBAに入った時から引退するまでシュートを武器にして戦い続けた正真正銘のシューターです。今回はそんなペジャのキャリアについて紹介していきます。

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ギリシャリーグでの活躍~NBAへの挑戦

ペジャはユーゴスラビア(現クロアチア)で生まれ、戦争が原因で一家全員でベオグラードに引っ越したことがきっかけでバスケットボールに出会いました。レッドスター・ベオグラードのシニアチームで2年間プレーしました。しかしバスケットボールを始めたばかりの選手がすぐに活躍できるほど甘い世界ではなく彼は39試合でわずか2.9得点しか平均することしかできませんでした。

そして環境を変えようと考えたのか16歳でペジャはギリシャへ引っ越し、1年後にPAOKテッサロニキのバスケチームでプレーし始めました。彼はギリシャリーグで5年間プレーし、最後のシーズンに23.9得点2.5アシスト4.9リバウンド1.2スティールを平均するまでの選手に成長し、この活躍がNBAの目に留まりペジャ自身もNBAへの挑戦を決心しました。

1996年ドラフトで全体14位でキングスに指名されたペジャはキングスと契約を無ずぶことができず、1998年に正式に契約を締結しました。1年目と2年目をベンチプレーヤーとしてプレーし、2年目に24分弱のプレータイムで3PT37.5%で平均11.9得点を記録したペジャは3年目のシーズンについにスターターに定着しました。そして3年目のシーズン、ペジャは75試合すべてにスターターとして出場し3PT40.0%で平均20.4得点2.2アシスト5.8リバウンド1.2スティールを記録し、208㎝と身長が高かった彼はシューターとしてだけでなく、リバウンドでもチームに貢献することができるようになりました。その成長は周りの目に見えるほど大きなものであり、この年彼はMIP投票で2位になりました。

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初のオールスター~キングスでのラストシーズン

2001~2002年シーズン、チームのかじ取り役がエンタメ性の高いジェイソン・ウィリアムスから堅実な正統派PGのマイク・ビビーに変わったことでペジャは効率の高いシュートを打つチャンスが多くなりました。このシーズン彼はFG48.4%、3PT41.6%、FT87.6%と非常に高効率でシュートを沈め、平均21.2得点2.5アシスト5.3リバウンド1.1スティールを記録して2年連続でオールスターに選出されました。彼の強みは正確無比なシューティングにありましたが、アシスト能力にやや難があり彼は単なるシューターに過ぎないという批判が当時からありましたがそれでも2年連続でオールスターに選出された彼の実力は本物でした。この年のプレイオフはキングスにとって1番のチャンスだった年であり、彼らはカンファレンス・ファイナルまで進みましたが疑惑の判定によってレイカーズとの最終第7戦で敗れてしまい最強の優勝できなかったチームと呼ばれることになってしまいました。

翌シーズンは3PT%も40%以下になり、それに伴って平均得点も19.2得点まで下がってしまいました。しかし、リーグに彼以上のシューターと呼べるような選手はおらず、コービー、KG、AI、T-Macなどそうそうたる面々がそろったオールスターの1人としてキングズを共に支えたウェバーと共にプレーしました。また、この年のオールスターウィークで彼は3PTコンテストで優勝しており、正真正銘のリーグ最高のシューターの1人としての地位を確立することができました。プレイオフでウェバーと共に23得点以上を平均するハイパフォーマンスを残し、優勝することもできそうでしたが、マーベリックスに最終7戦で敗れてしまい、2年連続で優勝チャンスを逃してしまいました。

しかし2003~2004年シーズン、キングスとペジャにとって重大なことが起こりました。それは絶対的な中心選手のウェバーがシーズン終盤まで手術で出場ができなかったことでした。ウェバーの穴を埋めるためペジャは奮闘しキャリアハイの81試合すべてにスターターとして出場し、FG48.0%、3PT43.3%、FT92.7%で平均24.2得点2.1アシスト6.3リバウンド1.3スティールを記録しました。この年のペジャは選手として全盛期に入りかけの26歳であり、オールNBA2ndチームに選出され、さらにMVP投票では4位に入りました。シーズンの終盤にはウェバーが復帰しましたが、彼のパフォーマンスは以前のものとは完全に低くなっておりプレイオフでもまたしても2回戦で敗退しました。

翌年、ウェバーの年齢が31歳になったことで、キングスに残された選択肢は優勝のみとなりましたがこの年にペジャはケガで16試合を欠場してしまい平均得点では20点以上を記録したとはいえ3PT%が40.2%まで低下し、ケガを気にしながらプレーする光景が見られました。そしてペジャと相性が良かったウェバーは2月にトレードで放出されてしまいました。プレーオフでもそのケガの影響とウェバーの不在は響き、この年のプレイオフで彼は3PTを36.7%でしか決めることができませんでした。そしてキングスは1回戦で1勝4敗で敗れました。

ウェバーがトレードされ、最大限生かされることが難しくなったペジャはケガがパフォーマンスに影響していたこともあり2006年の1月下旬にペイサーズにトレードされキャリアの1番輝いた地であるキングスを去ることになりました。

まとめ

いかがだったでしょうか。ペジャはキングスでプレーしていた間は間違いなくリーグトップクラスのシューターとして活躍していました。相棒のウェバーがいなくなってからは少し選手としてのインパクトが薄くなったように思いますが、それでも平均20得点をアウトサイド中心のオフェンスで記録した彼のシュート能力は本物であり、3PT全盛の現代で彼がどのような活躍をするかを見てみたい選手の1人です。

このブログではNBAの歴代選手や歴代チームの紹介をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!