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【選手紹介】オリジナルの王朝のベストベンチプレーヤー:トニー・クーコッチ

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王朝ブルズを支えた陰の功労者

1996年から1998年のプレイオフに欠けて2度目の3連覇を果たしたブルズの有用なベンチプレーヤーとして活躍したトニー・クーコッチ。「クロアチアの天才」と呼ばれたクーコッチはブルズ以外のチームであればチームを代表する選手に慣れるほどの実力と能力を持っていたプレーヤーでしたが、ジョーダンを中心としたBIG3のブルズをベンチからの安定的な得点とアシストで支えて3度の優勝を成し遂げました。今回はそんなクーコッチのキャリア前半について紹介していきます。

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ヨーロッパでの個人の栄光~NBAへの挑戦

クロアチアのスプリットという町で育ったプロサッカーのゴールキーパーとして活躍した父親に影響されて若いころからスポーツに慣れ親しんで成長しました。しかし将来NBAに入るような選手になるにもかかわらずクーコッチはバスケットボールではなく卓球とサッカーをして成長期を過ごしました。卓球でもかなりの才能を持っていた彼でしたが国内のいくつかの青少年枠での賞を獲ったのちにバスケットボールをプレーするようになりました。

そしてバスケットボールを始めたクーコッチの才能はすぐに開花しました。そして実力が認められた彼は17歳で地元のプロチームでプレーするようになり、すぐに頭角を現すようになりました。彼がプレーする間チームはユーロリーグで3連覇を成し遂げ、クーコッチは2年連続でユーロリーグファイナルMVPに選出されました。そして1993年にもユーロリーグファイナルMVPを受賞したクーコッチはその得点能力とアシスト能力が高く評価され「White Magic」と呼ばれるようになりました。

クーコッチがヨーロッパで活躍している間、ジョーダンの出現によって急速にグローバル化が進んだNBAではクーコッチという才能が注目されており、いち早くその可能性に目を付けたブルズは彼を1990年にドラフトしていました。彼は1993年までユーロリーグでプレーし続けましたが、1993~1994シーズンからついにNBAに挑戦することになりました。211㎝の高身長ながら、外からも中からも得点を取ることができるクーコッチは1年目のシーズンをSFのピッペンとPFのホーレス・グラントの控えとしてプレーすることになりました。このシーズンの3PT率は低かったですが要所ではしっかりと得点できていたクーコッチは平均10.9得点を記録してオールルーキー2ndチームに選出されました。1年目にプレーオフに出場したクーコッチはルーキーながらユーロリーグで経験を豊富に積んでいたこともあり重要なピースとして活躍することができました。カンファレンス・ファイナルのニックス戦での第3戦、試合時間1.8秒のゲームウィニングショットを任せられたクーコッチはフェイダウェイで決めきりチームを勝利に導きました。最終的に最終7戦でシリーズに敗退してしまいましたがクーコッチのプレーヤーとしての有用性と自分の仕事を完ぺきにこなす能力はこの1年目シーズンで証明されました。

プレーオフを終えてからのオフシーズンにスターターPFのグラントがマジックへ移籍したことをきっかけに、1994~1995シーズンにクーコッチはスタメンとしてプレーしました。クーコッチはこのスターターへの昇格によってプレータイムが1.3倍に増え、その結果平均15.7得点4.6アシスト5.4リバウンドを記録しました。この平均得点、アシスト、リバウンドはピッペンに次ぐ3番目の数字であり2年目プレーヤーとしてクーコッチは大きくチームに貢献できていました。1993年からチームはジョーダンを失っていましたが、3月に彼がチームに復帰することが発表されブルズの来る年での復活が期待されるようになりました。

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シックスマンとしての活躍~3連覇後のキャリア

そして迎えたジョーダンの復帰2年目のシーズンの1995~1996シーズン、ピッペンとクーコッチのみでは不足していた得点力と爆発力をジョーダンの復帰によってブルズは本調子を取り戻しました。また、史上最高のリバウンダーの1人であるロッドマンを獲得しておりBIG3を結成して圧倒的な強さを見せつけていました。そしてクーコッチはこのBIG3を支える優秀なベンチプレーヤーとしてチームに貢献し続けることになりました。このシーズン、クーコッチはベンチプレーヤーながらジョーダンとピッペンに次ぐ平均13.1得点でチーム3番目のスコアラーとして活躍し、シーズン終了後にシックスマン賞を受賞しました。この年、シックスマン賞を受賞したクーコッチの安定したベンチからのパフォーマンスに助けられ、ブルズは当時史上最高勝利数だった72勝を記録してプレイオフに進出し破竹の勢いでチーム史上4回目、クーコッチにとっては初めてのNBA優勝を成し遂げました。この優勝でクーコッチはシックスマン賞を受賞した同シーズンにNBA優勝を成し遂げた4人の選手のうちの1人(マクヘイル、ウォルトン、ボビー・ジジョーンズ、クーコッチ)になり、歴史に名を刻みました。

そしてこの年を始まりとしてクーコッチはシックスマンとしてチーム3番目のスコアラーとして活躍し続け、3連覇を成し遂げることができました。

ブルズでの3連覇を達成した1997~1998シーズンのオフにジョーダンは2度目の引退を表明しピッペンはロケッツへトレードされ、王朝は完全に解体されてしまいました。クーコッチはジョーダンとピッペンを失いましたがそのおかげでチームトップのスコアラーとして活躍することができ、1998~1999シーズンに自身キャリアハイの平均18.8得点を記録しました。自身の能力は申し分ないものであることを証明したクーコッチでしたが、やはり1番活躍できる使われ方はチームの2,3番手であったクーコッチはシクサーズにトレードされました。

そしてここから彼はシクサーズからホークスへ、ホークスからバックスへトレードされ、NBAから引退しました。

まとめ

いかがだったでしょうか。クーコッチは王朝ブルズでシックスマンとして使われていた時期に最も個人として輝いていました。しかしながら、ジョーダンとピッペンがオフにチームを去った次のシーズンにスターレベルで活躍することができていたことを考えると、彼がもし初めからエースプレーヤーとして使われていればスーパースターとして優勝する彼を見ることができたかもしれないと思います。

このブログではNBAの歴代選手や歴代チームの紹介をしています。NBAやバスケに興味がある方は是非引き続きお読みいただけると嬉しいです!