NBA Watcher 【毎週投稿】

NBAの歴代選手や歴代チームの紹介などをするブログです。

【選手紹介】歴代最も支配的だった選手:シャキール・オニール

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恵まれた体格と身体能力を活かした歴代最も支配的な選手

シャキール・オニールはその身長、体重とその身体能力が歴代でのセンターの中でもずば抜けていたことがきっかけで歴代でもっとも支配的な選手としてNBAで活躍しました。

いまではテレビで面白おじさんとして新しいキャリアを歩んでいる彼ですが、どのようにして歴代最も支配的なのセンターとしての地位を確立したのでしょうか。今回はシャックのキャリアについて紹介していきます。

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NBA入り~マジックからの移籍

1992年のドラフトで1位指名を受け、マジックに加入したシャックはこの年に有名なゴール破壊ダンクをしました。それも1シーズンに2回も。これによって大きく注目を集めたシャックはその期待通り新人王を受賞しました。チームを勝率5割以上に導きましたが、プレイオフをあと1勝のところで逃し、輝かしくも悔しいシーズンとなりました。

翌1993~1994シーズンには、ペニーがチームに入り、頼れるPGとコンビを組んだマジックは大きく活躍しプレイオフにも進出しました。そして1994~1995シーズン、チームにはシャックとペニーの若手コンビに可能性を感じたホーレス・グラントが加入し、チームは大躍進、シャック自身も得点王に輝き、チームはプレイオフでファイナルまで進出しましたがロケッツと対戦し悔しいスウィープ負けを喫しました。

そして次シーズン、シャックは27試合の欠場し、その間チームの中心として活躍していたペニーに人気が集まったことに嫉妬しシャックはオフにFAとしてレイカーズと契約し、ペニーとの黄金コンビはたった4年で解散となってしまいました。

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レイカーズ時代~ヒート時代

1996年、レイカーズに移籍したシャックは同じ年にドラフトされたコービーとの確執が取りざたされ、コンビ結成から3年間はチームはプレイオフに進出することができませんでした。1999~2000シーズンはフィル・ジャクソンHCが指揮するトライアングル・オフェンスが功を奏しチームは大きく成績を伸ばしました。チームは優勝し、この年シャックはシーズンMVP、オールスターMVP、ファイナルMVPのすべてのMVP賞を受賞するという異常な活躍をしました。

そしてその勢いのまま2000~2001シーズンもレイカーズはプレイオフ成績15勝1敗で優勝し2連覇、シャックは2年連続でファイナルMVPを受賞しました。NBAを支配したレイカーズとシャックは足のケガもありましたが、NBAファイナルに進出しスウィープ勝ちで優勝を決め3連覇を達成、またシャックは3年連続でファイナルMVPに選出され、選手として最高の時間を過ごしていましたが、やはりコービーとシャックの確執は残っており、2002年と2003年のプレイオフでの敗北をきっかけに修復不可能までに悪化。このオフにコービーは自分かシャックかどっちをとるかという選択をチームに迫り、2004~2005シーズンにシャックはヒートへトレードされました。

トレードされた先のヒートではシャックはドウェイン・ウェイドとコンビを組み1年目から大活躍、チームはイーストで最高勝率を記録しました。そして移籍2年目の2005~2006シーズン、年齢による衰えか以前の支配的な活躍は鳴りを潜めてしまいましたがしっかりと活躍し個人としてオールNBA1stチーム入り、チームは優勝し4つ目のチャンピオンリングを獲得しました。

2006~2007シーズンには故障があり40試合の出場に留まり、12年間続いたオールNBAチーム入りもストップ。プレイオフには出場しましたが、1回戦でブルズにスウィープ負けを喫しました。そして少しずつ確実に衰えをみえていたシャックに限界を感じていたヒートは2007~2008シーズン途中にサンズにトレードされました。

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サンズ時代~引退

サンズにトレードされたシャックはナッシュの展開するラン&ガンオフェンスに適応することができず、2008~2009シーズンにはオールスターMVPをコービーと共に受賞しましたが、以前の活躍を取り戻すことができず2009~2010シーズンにキャバリアーズに移籍しましたが、そこでも衰えによって活躍できず、2010~2011シーズンにセルティックスでプレーしたのを最後に引退しました。

まとめ

いかがだったでしょうか。大活躍していたときとキャリア最後の落ち方が極端だったため、ケガや衰えがもう少し少なく緩やかだったらと想像してしまいますが、彼の残した功績は間違いなく、歴代で最も支配的な選手と呼ばれるのに十分なものでしょう。今では丸くなり、面白いおじさんというイメージがついているシャックですが選手時代を知ると見方が変わる選手の1人です。

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【チーム分析】今年のマーベリックスはドンチッチを満足させることができるのか?

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3年目のスーパースタールカ・ドンチッチと大型延長契約を結んだマブズ

2019年ドラフトでホークスにドラフトされてからトレードでマブズに加入してからというものの完全にチームの未来そして絶対的な中心選手として活躍してきたドンチッチとオフに超大型契約を結んだマブズ。

レギュラーシーズンではドンチッチの個人技で安定した成績を残しているマブズですがプレーオフではドンチッチ頼りのオフェンスが裏目に出てしまうことが多いチームでもあります。

今年のオフではその弱点を十分に補強できたとは言いにくい結果に終わりましたが、今年のマブズはドンチッチを満足させることができるのでしょうか。今回はマブズの今シーズンについて考察していきます。

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マーベリックスの問題点

マーベリックスの問題点と言えば3つ大きなものがあげられると思います。ここではその1つ1つについて細かく分析していきます。

ルカを助けられる選手が少ない

1つ目は2番手になる存在が不足しているということです。もともとはニックスとのトレードで獲得した、クリスタプス・ポルジンギスが2番手として活躍することに期待がありました。しかし、一昨年、昨年と2回のプレイオフを通じてポルジンギスはその期待に応えることができていません。221㎝の長身を生かしたリバウンダー、ディフェンダーとしてチームに貢献することはできていますが、オフェンス面でるかを助けることができていません。

ルカがボールを持つことで真価を発揮する選手なのに、ポルジンギスはセンターとしてポストプレイを得意とするわけではなく、センター並みの身長を持つ選手として外でのプレーが強みなので結局のところボールを持っていないと選手としての効果が半減してしまいます。しかもポルジンギスはオフボールでの動きが苦手なこともあってルカと一緒にプレーする際、微妙にかみ合っていないように見えます。

ウイングが他のチームより弱め

2つ目はウイングの選手がほかの強豪と比べて弱めということです。クリッパーズにはカワイとジョージ、セルティックスにはテイタムとブラウンなどリーグの中でも有力なウイングをそろえる強豪が多い中でマブズは強豪として活躍しているのにもかかわらず、ウイングの選手が強豪らしくないです。

頼れる選手はドリアン・フィニー・スミスとティム・ハーダウェイJrの2人でしょうか。しかしながらこの2人も他の強豪チームのウイングと比べると少し実力が寂しい気がします。現代のNBAではウイングの強さがチームのオフェンスとディフェンス両面で大きな影響を持つのでこの点はオフで補強しきることができなかったのではないかと思います。

首脳陣の安定性が不安

3つ目は強豪チームとして優勝を目指すチームなのに首脳陣が新しいメンバーで構成されているということです。昨年の首脳陣がいろいろチーム内でゴタゴタを起こしてチームとしてドンチッチの契約延長が最優先だったのでとにかく首脳陣の一新が必要だったことは理解できますが、優勝を目指すチームとしては首脳陣の不安定さは少し心配ですが、マブズOBが多いためすぐに安定する可能性は高いかもしれません。

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強み

ここまで今年のマブズに関して不安なことをまとめてきましたが、マブズには期待できる点もあります。次は期待できる点や強みについて解説していきます。

TOP5選手がチームにいる

ルカはリーグTOP5選手として昨年のオールNBA1stチームに選出されました。いくらルカ中心のバスケではプレイオフでは勝ち切ることができないといっても彼がいるということはチームにとって大きなアドバンテージです。彼のリーダーシップやスキルはなかなか小さなフランチャイズにとっては手に入るものではないので、彼を中心としてチームが大きく成長する可能性は高いです。

若手中心のチーム故のエネルギー

マブズは若手中心のチームであるが故の不安定性が注目されがちなチームですが、逆に勢いがあるチームとも言えます。ナゲッツも若手中心のチームとして勢いがあり、一昨年には大番狂わせと言われたカンファレンス・ファイナルにまで進みました。

マブズとナゲッツではリーダーの性格やポジション、プレースタイルも違い、スターターに1人ベテランがいたという違いがありナゲッツと完全に同じとは言えませんが、若手中心という点は同じですので、勢いで勝ち上がれる可能性はあると思います。

まとめ

いかがだったでしょうか。マブズは若手中心のチームですがルカをはじめとして、ポルジンギス、クリバー、DSJなど才能がある選手がいるチームですので今年、来年に大躍進を遂げる可能性は高いと思います。ただし問題点も多くあるチームですのでそこをどうカバーしたり隠したりできるかがカギになるチームです。

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【選手紹介】史上最高PGのポテンシャルを持っていた天才:ペニー・ハーダウェイ

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ペニー・ハーダウェイの短くも輝かしいキャリア

2000年初頭に史上最高Cの1人シャキール・オニールと若手コンビでリーグを席巻した天才PG、ペニー(アンファニー)・ハーダウェイ。ケガに泣かされた選手として覚えられ、彼の優秀さを具体的に把握している方は少ないと思いますが、彼はマジック・ジョンソンを超えるPGになれる素質と才能を持った選手でした。今回はそんな彼のキャリアについて解説していきます。

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NBA1年目~サンズ移籍

ペニーがドラフトされる1年前にオーランド・マジックに1位でドラフトされたシャキール・オニールは、オフに映画撮影で仲良くなり後にNBAドラフト候補としてトップ指名の可能性もあるペニーをドラフトするようにチームに要求しました。マジックはその要求とは反対に1位指名権を使ってクリス・ウェバーを指名しましたが、指名直後にウェバーをトレードし要求どおりペニーを獲得することに成功しました。

1年目から仲の良かったシャックとペニーのコンビは大躍進し、ペニーもオールルーキー1stチームに選出される活躍を残しチームはプレイオフに進出しました。しかしプレイオフでは若さゆえの経験不足を露呈し1回戦でスウィープ負けを喫しました。

2年目シーズンにはエースPGとして起用されチームは57勝25敗と好記録を残し、ペニーはチームを引っ張ったことが評価され2年目選手ながらオールNBA1stチームに選出されこの年から4年連続でオールスターとして選出されることになりました。そしてプレイオフではジョーダンのいるブルズを退けNBAファイナルに進出しましたが、ロケッツに4連敗し、優勝を成し遂げることはできませんでした。

そして3年目のシーズンではシャックがケガによって欠場していたことをきっかけにペニーはシャックを超えるチームの中心的存在になり、2年連続でオールNBA1stチームに選出されましたが、プレイオフではシャックの不在が響きブルズと対戦の末敗退し、シャックは自分が1番の中心選手でなくなったことに腹を立てレイカーズに移籍することになりました。

その結果ここからペニーの負担は大きく増え、その負担と期待に応えるためにケガを押して出場していたペニーの身体は限界を迎えていきました。シャックが移籍して最初のシーズンとなった1996~1997シーズンにペニーは膝のケガで23試合を欠場し、ペニーへの負担の増加が明らかになっていました。それでもペニーの才能に懸けていたマジックは彼を第1戦で使い続けました。

翌シーズンもペニーは膝のケガに悩まされ19試合のみの出場に留まり、チームもプレイオフを逃しペニー自身のスタッツも大きく低下していたことからファンのフラストレーションが爆発しペニーはチームのエースながらファンからのブーイングを受ける存在になってしまいました。マジックでプレーした最後のシーズンとなった1998~1999シーズン、チームはプレイオフに進出しましたが、1回戦では敗退し、起用法に不満があったペニーはサインアンドトレードを要求しサンズへ移籍し、ジェイソン・キッドとバックコートコンビ(バックコート2000)を結成しました。

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サンズ時代~悲劇の引退

サンズに移籍したペニーはSGとしてキッドの隣で16.9得点アシストとリバウンドは5以上とまずまずの平均記録を残しました。プレイオフでは平均20.3得点と活躍しましたが、カンファレンス・セミファイナルでレイカーズ相手に敗退し、翌シーズンはふくらはぎのケガによってたった4試合の出場でシーズンを終えることになりました。

そして2001~2002シーズンは久しぶりの健康なシーズンを過ごし80試合に出場(先発は55試合)しましたが、ペニーはこの年移籍してきたステフォン・マーブリーと衝突しチームの雰囲気を悪化させプレイオフ出場とはなりませんでした。翌シーズン、チームは若手のジョー・ジョンソンを獲得し、若手中心のチームになり始めたサンズでペニーは構想外になりました。

そして翌2003~2004シーズンではペニーはニックスにトレードされ、ペニーはベンチ起用が増えました。ベンチプレーヤーとしてプレイオフでは16.5得点を平均しましたが1回戦で敗退しました。翌シーズンペニーは37試合に出場しすべての試合でベンチ出場でプレーしました。

2005~2006シーズンには膝のケガによって4試合のみのプレーに留まり、シーズン途中で古巣のマジックに放出されましたが、契約が高額だったためマジックは1試合も彼をプレーせずすぐに解雇しました。そして2007~2008シーズンにはヒートと契約し、シャックと再会することになりましたが、チームの不調の責任を取る形で解雇され、そこから事実上の引退状態となりました。

まとめ

いかがだったでしょうか。プレーに華があり、将来のNBAを背負う選手として大きな期待を背負っていたペニーはケガによってその才能を活かしきることができませんでしたがキャリア前半で残したインパクトは歴史上でも稀に見るパフォーマンスでした。優勝やMVPなどは受賞していないので忘れられがちな選手ですが、是非この記事を読んで彼の素晴らしさを思い出していただけたらと思います。

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【チーム分析】昨年のサプライズチーム:アトランタホークスは今年も強いのか

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昨年大躍進を遂げたアトランタ・ホークス

昨年のプレーオフで下馬評を覆して1回戦で同じく急成長したニューヨークニックスを、2回戦でレギュラーシーズンを東1位で突破したフィラデルフィア・76ersを番狂わせで倒し、若手中心のチームながらカンファレンス・ファイナル進出を達成したホークス。

カンファレンス・ファイナルではヤニス・アデトクンポ率いるミルウォーキー・バックスにはチーム力とスターパワーの差によって敗北してしまいましたが、サプライズチームとしてホークスファンに希望を与えました。オフにはあまり補強をせずコアを変えずに今シーズンに挑むことになりました。今回はそんなホークスについて考察をしていきます。

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なぜ昨シーズンあそこまで躍進できたのか?

ホークスが昨シーズン躍進した理由は大きく分けて2つあると思うので、項目別に分けて説明していきます。

ヤングの相棒の若手が成長した

ヤングの相棒として活躍が期待されていた若手が大きく今年は成長しました。プレーオフで見違えるように進化した選手もいればレギュラーシーズンから活躍し続けた選手もいます。ここでは2人の選手を紹介します。

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キャム・レディッシュ(キャメロン・レディッシュ)

彼は2年目選手としてプレーオフで大きく成長した選手です。もともと大学生時代にドラフトトップ3指名を予想されていたことで期待をされていましたが、1年目のパフォーマンスが微妙だったことでバスト(期待外れの高順位指名選手)の評価を受けていました。しかし2年目の初プレーオフでは優秀なウイングプレーヤーとしてアウトサイドシュートとディフェンスのバランスが取れた理想的な3&D選手として活躍し全盛期のポール・ジョージに似ている選手だと評価を受けました。

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ジョン・コリンズ

NBAキャリアを始めた2017年から高い身体能力が評価され、将来を期待されていた選手ではあったもののいまいち選手として突き抜けることができなかった彼ですが、今年のレギュラーシーズンで選手として1段階成長することができました。

高い身体能力とPFとしては高確率の39.9%で3PTを決めることができるそのオフェンス能力でチームに大きく貢献しました。彼は今はまだディフェンスでマイナス評価を受ける選手ですが、身体能力を考えるとプラスとは言わずともマイナスにならない選手になることはできると思います。

補強した選手がチームを底上げしていた

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ダニーロ・ガリナリ

優勝できるチームに行きたいと言っていたのに若手中心のホークスに移籍したことで批判を受けていたガリナリですが、見事にチームを支えるベテラン選手として貢献し、13得点以上を平均する安定したスコアラーとして活躍しました。

彼はディフェンス面でもマイナスになるような選手ではなく、高身長を活かしたプレーもできる意外と器用なプレーヤーです。若手が多く経験を活かした器用なプレーが少なく見えるチームを支え、チームを底上げしてくれました。

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ルー・ウィリアムズ

言わずと知れた爆発的な得点力を持つ現代最高のシックスマン、ルー・ウィリアムズ。ヤングがいないときにチームを得点で支えたり、ベンチからの得点力を向上させる存在としてホークスのベンチに欠かせない選手としてチームに貢献しました。時にはチームベストのスコアラーとして活躍しました。年齢も重なりパフォーマンスが落ち始めることも心配されますがあと2年くらいはシックスマンとして活躍することはできるでしょう。

まとめ

いかがだったでしょうか。オフにそこまでチームに変化を与えなかったホークスは強いチームとしてリーグの中でトップ8チームくらいにはなると思いますが、昨シーズンプレイオフのようなカンファテンスファイナル進出は難しいと思います。そもそも昨シーズンあそこまで勝てたのは流れもあると思いますし、ホークスは大きな補強をしていませんが、他の東のチームは大きく戦力を補強しているのでカンファレンス・セミファイナルが限界ではないかと思います。

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【選手紹介】歴代屈指のPF:ダーク・ノビツキー

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過小評価を乗り換えたヨーロッパ最強PF

2019年引退を発表し、華々しいキャリアを終えました。長年マーベリックスのエースとして活躍したダークは新しいエース、そしてフランチャイズプレーヤーの卵のスロベニアの至宝、ルカ・ドンチッチにチームを任せる形でチームから去りましたが、今シーズンスペシャルアドバイザーとしてチームに復帰します。ではそんな彼のプレイヤーとしての功績はどのようなものだったのか。今回はダークのキャリアについて解説していきます。

ドイツ時代~キャリア初期BIG3

ダークはドイツで生まれ育ちましたが、元々バスケをしていたというわけではありませんでしたが、ある日外のコートでバスケをしていると当時から高身長だった彼に目を付けたある男が彼をバスケに道に引き込みました。そしてDJKヴュルツブルクに加入したダークは1年目には期待外れの結果しか残すことしかできませんでしたが、2年目の1995~1996シーズンにはスターターとして出場、そこでスター選手とプレーする時間が増えたことで才能が開花しました。19.4得点を平均しスター選手が移籍したことでチームのエースまでダークは成長しました。

そして翌シーズンノビツキーの身長は211㎝まで伸び、平均得点も28.2得点まで上げドイツバスケットボール誌選出の年間最優秀選手賞を受賞しました。成長したダークは1997年のナイキフープヒーローズツアーでチャールズ・バークレーやスコッティ・ピッペンと対戦すること機会を得、そこでバークレーに認められ、翌年のナイキフープサミットで33得点14リバウンドを記録しUSAチームを破り、世界的に注目を集めることになり、1999年NBAドラフトにエントリーし、マーベリックスから指名を受けました。

NBA1年目のシーズン、ダークはアメリカの文化やNBAのフィジカルに適応することができず苦戦を強いられました。8.2得点3.4リバウンドを平均し期待外れのシーズンを過ごしたダークは自信を無くしドイツに帰ろうかと考えるほど追い詰められていましたが、何とか次のシーズンに挑むことを決めました。2年目のシーズン、ダークはポイントフォワードとして起用されそこでマイケル・フィンリーとセドリック・セバロスとBIG3を結成し、ダーク自身も17.5得点6.5リバウンドを平均し大きく成長し、チームは40勝42敗まで勝率を伸ばしましたがプレイオフには届きませんでした。

2000~2001シーズン、この年大きく成長したスティーブ・ナッシュと共に新たなBIG3を結成したマーベリックスとダークは大躍進しました。ダークは21.8得点9.2リバウンドを平均しオールNBA3rdチームにも選出され、プレーオフではカール・マローンとジョン・ストックトン率いるユタ・ジャズを倒しカンファレンス・セミファイナルでは永遠のライバルとなるティム・ダンカン率いるスパーズと対戦しました。このシリーズでダークは熱を出したり、歯を折るなどして1勝4敗で敗退してしまいました。

2001~2002シーズン、ダークは23.4得点9.9リバウンドを平均しオールNBA2ndチームに選出され、順調に選手として成長を続け、チームは6マンとしてニック・ヴァン・エクセルを獲得しプレーオフ1回戦では33.3得点を平均しケビン・ガーネットがいたミネソタ・ティンバーウルブズをスウィープしました。しかし、カンファレンス・セミファイナルではクリス・ウェバー擁するサクラメント・キングスのディフェンスに苦しみ敗退となりました。翌シーズン、25.1得点9.9リバウンドを平均しチームも60勝20敗の記録を残しプレーオフに進出、しかしながら、カンファレンス・ファイナルでまたもやスパーズに阻まれ第3戦ケガを負い、ファイナルに進出することはできませんでした。

2003~2004シーズンでは、フィジカルを意識して10㎏の増量をしたダークの成績は振るわず、チームも52勝30敗と成績を落としプレーオフではキングスに1回戦で敗れました。

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BIG3解散~引退

翌年の2004~2005シーズン、マーベリックスは指導陣の改革をはじめに選手陣にもテコ入れをはじめダークの親友ナッシュをFAで放出し、デビン・ハリス、ジェイソン・テリー、ジェリー・スタックハウスなど多くの有力選手を獲得し、チームに変化を与えました。その結果ダークは26.1得点9.7リバウンドを平均し初のオールNBA1stチームに選出されました。58勝24敗と成績を回復しましたが、プレイオフではナッシュが移籍したフェニックス・サンズにカンファレンス・セミファイナルで対戦し敗退しました。

翌年チームは長年チームを支えたフィンリーを放出し、これによって責任が増えたダークは3PT40.6%FT90.1%を記録し、26.6得点9.0リバウンドを平均し、選手としてまた1段階成長し、チームも60勝22敗と成績を伸ばしました。そしてプレイオフではスパーズを破りついにファイナルに出場しましたが、ファイナル第4戦ではFG2/14と第不調に陥り、シリーズ平均では22.8得点10.8リバウンドと得点面でステップアップすることができず2勝4敗で敗れダークは多くの批判を受けました。次シーズン、ダークは敗戦の悔しさをプレーにぶつけ平均24.6得点8.9リバウンドと3PT41.6%FT90.4%を記録し、マブスは球団新記録となる17連勝を含む67勝15敗を残し、ダークは初のMVPになったシーズンとなりました。リーグ1位でプレーオフに進出しましたが、歴史的な番狂わせと言われるWe belive warriorsに敗れ、ダークは非常に大きなショックを受けることになり、勝負弱いと言われるようになりました。

2007~2008シーズンにはジェイソン・キッドを獲得しましたが、チーム成績は51勝31敗と振るわず、特筆するのことないシーズンでした。翌年HCにリック・カーライルが就任しましたが、50勝32敗とさらに成績を落としプレイオフではセミファイナルでデンバー・ナゲッツに敗れダークは優勝できない選手のイメージが定着していきました。2009~2010シーズンでは、ダークは25得点以上を平均しチームも55勝27敗と盛り返しましたが、プレーオフではスパーズにまたも1回戦で敗れました。

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念願の優勝

2010~2011シーズンにダークはFG51.7%3PT39.3%FT89.2%の確率で平均23得点7リバウンドを平均しプレーオフには3位で出場しました。チームは全盛期のスターはノビツキーのみで残りのメンバーは全盛期を過ぎたスター選手が多く優勝には程遠いチームと思われていましたが、この年6マン賞を受賞したテリーやベテランPGのキッドを中心にダークの不調をカバーし、チームワークで戦ったマーベリックスはファイナルではBIG3のヒートを破り優勝しました。ダークはファイナル平均26.0得点、9.7リバウンドを記録しFT45/46本成功と効率的な得点で貢献し、ファイナルMVPを受賞しました。

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2011年以降年齢が重なってきたダークはリーグトップクラスのPFとして活躍することは少なくなり、2016年にマーベリックスと契約延長をするとメンターとしてチームを支え、2019年に引退しました。

まとめ

いかがだったでしょうか。ダークは白人選手だからというNBAの偏見と過小評価を乗り越えヨーロッパ最強のPFとしてMVP受賞、リーグ優勝と選手としての最高の功績を残しました。彼の象徴的なシュートの片足フェイダウェイは今でも多くの選手が使う技としてNBAに残っていますし、のちのNBAに大きく影響したという面でも忘れられない選手です。

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【選手紹介】NBAの歴史に残るクラッチシュートを決めた名シューター:レイ・アレン

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カリー以前の歴代最高シューターレイ・アレン

ステフィン・カリーがシューターとして歴史的なシューターとして活躍するまでNBAの歴史上最高のシューターと言われていレイ・アレン。彼はどのようなキャリアを過ごし、どのような功績を残したのか。今回はそんな歴代屈指のシューターについて紹介していきます。

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学生時代~ソニックス時代

高校生の時から有力な選手だったアレンはヒルクレスト高校でプレーし最終年には高校を州大会制覇に導き輝かしい高校キャリアを終えコネチカット大学に進学しました。そこでも期待通りの活躍を残したアレンは3年生時には、大学オールアメリカンの1stチームに選出され、さらにビッグイーストカンファレンスの最優秀選手に選ばれました。

そして大学卒業後アレンは1996年ドラフト、全体5位でミネソタ・ティンバーウルブズに指名されましたがすぐにトレードされミルウォーキー・バックスでNBAキャリアをスタートさせました。1年目に13.4得点、4.0リバウンド、2.6アシストを平均し、でオールルーキー2ndチームに選出されました。また、オールスターイベントでは高い身体能力が評価されスラムダンクコンテストに出場しました。2000~2001シーズンは、スリーポイントコンテストで優勝し、さらにプレーオフではバックスをカンファレンス・ファイナルに導きましたが、そのプレイオフシリーズで絶好調だったアレン・アイバーソン率いるフィラデルフィア・76ersに第7戦までもつれる激戦の末敗れ、アレンは合計6年半バックスに所属したのち、2003~2004シーズンにトレードで現在のOKCサンダーの前身のシアトル・スーパーソニックスへ移籍しました。

2004~2005シーズンにはチームメートのラシャード・ルイスと共に、チームをカンファレンス・セミファイナルへと導き、オールNBA2ndチームに選出されました。2005~2006シーズン、アレンはソニックスと5年で契約更新をし、その頃には一試合平均25.1得点を記録しリーグを代表するスコアラーへと成長していました。しかしながらチームはルイスとアレンのディフェンスが苦手なエース2人に引っ張られていたためプレイオフでは優勝することは難しいことが明白でした。

2007年のユタ・ジャズ戦では、キャリアハイとなる54得点を記録し、スコアラーとしての存在感を強めましたが怪我のため両足首を手術し2006~2007シーズンを終えました。そして次のシーズンのNBAドラフトでケビン・デュラントをソニックスが指名することがわかると、アレンは若手中心のチームになり優勝が遠ざかることを予感したのかトレードを要求し、ボストン・セルティックスに移籍することになりました。

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ボストン時代~マイアミ移籍

ボストンにトレードされたアレンはそこでケビン・ガーネットとポール・ピアースという当時のNBAでトップ10に入る選手たちとBIG3を結成しました。3人ともBIG3結成前のチームではエース役をしていましたがそれぞれがうまく役割を分担し、活躍の場を共有しセルティックスはBIG3結成年にいきなり優勝を達成しました。このプレオオフでアレンはシューターとして貢献し、ファイナル6試合で平均20.3得点FG50.7%3ポイントシュートは42本中22本成功と52.4%を記録し第6戦ではNBAファイナル記録の7本の3PTを沈め、ディフェンス面でも相手のエースのコービー・ブライアントをマークし彼を苦しめることに成功しました。

翌年でもアレンは好調を維持し、FGは48%、FTは95.2%を記録しチームを得点面と安定性で支えましたが、この年はカンファレンス・セミファイナルで敗退しました。2009~2010シーズンアレンは好不調の波が激しくそのせいでトレードもうわさされるようになりましたが、プレイオフにカンファレンス4位で出場しファイナルに進出しました。しかし好不調の波の激しさはここでも影響し、ファイナル第2戦では8本の3Pを決め、2年前のファイナル第6戦で自らが記録した1試合7本の3Pというタイ記録を塗り替え新記録を樹立しましたが、第3戦では2戦目が嘘のようにシュートが決まらず、結果的にレイカーズに敗れてしまいました。

2010~2011シーズン、序盤から安定した働きを見せたアレンは3Pを次々に決め、そして2月10日のホームゲーム対レイカーズ戦でついに3P通算成功数でNBA歴代1位になりました。シーズンFG49.1%3PT44.4%を記録しこれは両方ともキャリアハイの成績でした。アレンの活躍もあり、チームはカンファレンス3位でプレーオフに進み、アレンはプレイオフでも56本中32本のスリーを沈めるなど好調を維持しました。しかし怪我やトレードで失ったインサイドの駒不足を解消することはできず、チームはセミファイナルでレブロン、ボッシュ、ウェイドのBIG3を結成したマイアミ・ヒートに敗れてしまい、そしてアレンは禁断の移籍となるマイアミ・ヒートとの契約に合意しました。

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マイアミ時代~引退

アレンはシーズン中は年齢のせいかあまり調子が上がりませんでしたが、チームはBIG3に導かれファイナルに進出しました。そして歴史的なクラッチシュートを決めたファイナル第6戦、アレンは92-95の状況でレブロンが放ったシュートをリバウンドしたボッシュのパスを受け、マークが離れていた一瞬の隙をついてバランスを崩しながらも同店3PTを決めました。オーバータイムでもディフェンスで活躍し、FTでチームに得点を与え第6戦を制し、その勢いのままヒートはスパーズを下しアレンは移籍1年目に逆転優勝を成し遂げました。

翌年はスパーズにファイナルで1勝4敗のリベンジを許し、レブロンは地元キャバリアーズに移籍しヒートのBIG3は解散し、アレンはそこからプレーしない日々が続き2016年正式に引退を表明しました。また、アレンは2018年にバスケットボール殿堂入りしました。

まとめ

いかがだったでしょうか。アレンはカリーに史上最高シューターの肩書を奪われてしまいましたが、明らかに史上最高レベルのシューターであり、マイアミを救ったあのクラッチシュートはアレンが亡くなっても語られる伝説でしょう。あのシーンだけでもアレンを知らない方は動画を見てほしいとまで思ってしまうような選手でした。

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【チーム紹介】スモールボールでリーグを席巻したチーム:フェニックス・サンズ

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昨シーズン大躍進を遂げたチームの2000年代前半の黄金期について

昨シーズンPGにクリス・ポールを加え、エースのデビン・ブッカーや2年目のディアンドレ・エイトンが大きく成長し予想外のNBAファイナルに進出しました。今回はそんなサンズが2000年代前半に築き上げた黄金時代について紹介します。

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黄金期時代のきっかけ~ダントー二HCの退任

サンズは2004年~2005年シーズンにかつてダラス・マーベリックスにトレードで放出した小柄なPGのスティーブ・ナッシュをFAとして契約しました。そしてこのシーズンからディフェンスのルールが変わり、ハンドチェック(ディフェンダーが相手の腰のあたりに手を置いて動きをけん制するディフェンスのこと)が全面的に禁止になり、PGやSGなどの比較的小柄な選手たちがスピードを活かしてプレーすることができるようになり、このルールの変更の恩恵を受けたナッシュは低迷していたサンズを1年目から大きく変えることになりました。

2004~2005シーズン、ナッシュを中心としてダントー二HCが主導するラン&ガンオフェンスはリーグに大きなインパクトを与えました。そしてそのチームに与えた影響の大きさはチームの60勝22敗というリーグトップの成績にも表れていましたが、それに加えナッシュはこの年初めてのMVPに選出されました。しかしながらプレーオフではスパーズにカンファレンス・ファイナルで敗退しました。

次シーズン、サンズはチームのもう1人のエースアマレ・スタウダマイアーがケガでシーズンをほぼ全休しましたが代わりを務めたボリス・ディアウが大躍進を遂げ、この年MIP(急成長選手賞)を受賞し、同年相棒エースを失ってもチームを引っ張ったナッシュの功績は大きく評価され2年連続でシーズンMVPを受賞しました。しかしプレイオフではバスケの女神に恵まれずカンファレンス・ファイナルで以前の相棒ダーク・ノビツキー率いるマーベリックスに敗れファイナル進出とはなりませんでした。

そして2年連続ファイナル進出を逃した悔しさを抱えて臨んだ2006~2007シーズン、スタウダマイアーが復帰しサンズは安定した強さでプレイオフに進出。このシーズンではリアンドロ・バルボサが6マン賞を受賞しました。しかし、カンファレンス・セミファイナルでスパーズと対戦し、このシリーズでナッシュがスパーズのロバート・オーリーにタックルされ負傷、それに反応したスタウダマイアーとディアウが1試合の出場停止など多くの戦力を失うことになり勢いを失いベンチ層も薄かったサンズはそのまま敗退しました。

そして翌年、サンズはスモールボールとラン&ガンに限界を感じたのか当時呼応レイベテランプレーヤーになっていたシャキール・オニールをバルボサとのトレードで獲得しました。このトレードでスピードバスケットが展開しにくくなったサンズは調子を落とし、プレーオフ1回戦でまたもスパーズに敗れ、変化を求めたチームはラン&ガンオフェンスの指揮官だったダントー二HC辞任後新しくテリー・ポーターHCを雇いました。

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低迷時代~黄金時代の終わり

テリー・ポーターHCを雇って初めの2008~2009シーズン、チームはラン&ガンをやめディフェンス重視のバスケに切り替えようとしましたが、うまくいかずオールスター後にポーターHCは解任、ACだったアルビン・ジェントリーがHCになり、ラン&ガンの復活を目指しましたがタイミングが遅く46勝36敗の成績を残しましたが、プレーオフを逃す結果になりました。

翌年の2009~2010シーズン前年から復活させたラン&ガンオフェンスが火を噴きサンズはプレーオフに戻ることができ、カンファレンス・ファイナルでレイカーズと対戦しました。しかしながら2勝4敗でシリーズ敗退となりました。

そして翌年はスタウダマイアーがニックスへ移籍し、その翌年にはナッシュは38歳にしてオールスターに選出されましたが、パフォーマンスは落ちていました。

そして2012年にナッシュはトレードでレイカーズに放出され、サンズの2000年代前半から続いた黄金期は完全に終わりを迎えました。

まとめ

いかかだったでしょうか。サンズの前にスモールボールを使ったチームはいましたが、ここまで有効的にスモールボールを使ったチーム、そしてナッシュという司令塔が残したレガシーは決して忘れてないけないものです。昨年はポールのリーダーシップによりファイナルまで一気に進出したサンズですが今年こそ優勝することはできるのでしょうか。今年のNBAは楽しみなことが多いシーズンになりそうです。

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【選手比較】ビル・ラッセル VS ウィルト・チェンバレン

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長く続く論争

ビル・ラッセルとウィルト・チェンバレン。1960年代の当時センターがリーグを支配していた時代にとびぬけたセンターとして活躍していた2人。2人ともセンターとしては多くの実績を残し歴史上でも数少ないセンターのすべての実績を持っているとも言っていい存在ですが、そんな2人を比較してどちらが上なのかという論争はいまだに決着していません。今回はそんな比較をし、どちらが上の選手なのか考察していこうと思います。

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優勝回数

ラッセルはキャリアで驚きの8連覇を含む11回の優勝をしています。この8連覇含む11回の優勝には、当時のNBAにはサラリーキャップがなく寄せ集めチームを作りやすかった環境や、そもそもチーム数が少なかったという事実があります。

現代のようなサラリーに制限があるライバルの多いNBAの環境で同じ優勝回数を達成できたかと言われると怪しいですが、優勝は優勝であり、無視することはできませんし、そのそれぞれの優勝にラッセルは大きく貢献しました。

反対にチェンバレンは2回しか優勝をしていません。彼は個人として圧倒的なスタッツを残している時代が印象的でそのイメージが非常に強く残っている方が多いと思いますが、2回の優勝時には個人スタッツを追い求めるエゴの強い選手ではなく、チームの勝利を優先するチームプレーヤーとして活躍し、優勝の立役者として活躍しました。

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平均スタッツ

ラッセルはチームの勝利を優先するスタイルでキャリア全体を過ごしたのでそこまでとびぬけた数字を平均したことはありません。ベストシーズンには18.9得点23.6リバウンド4.5アシストを平均しました(23リバウンドはお化けすぎる)。

反対にチェンバレンは圧倒的な個人スタッツを残した神懸かり的な選手として活躍していました。1試合100得点を記録したり、シーズン平均50得点以上を平均したりと恵まれた体格と身体能力を使ったプレーでリーグを支配していました。しかしながら優勝回数はラッセルと比較すると2回と少ないです。ベストシーズンには33.5得点24.6リバウンド5.2アシストを平均し、この年チェンバレンはチームプレイヤーとして成長しセルティックスを破り優勝を成し遂げました。

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現代でも通用しそうなのは?

優勝機会に恵まれ、回数も飛び抜けているラッセルと、個人として時代で最も止められない存在だったチェンバレン。一体どちらが現代でも優秀な選手として活躍できる可能性が高そうでしょうか。

チェンバレンの方が現代でも優秀な選手になれそう?

個人的にはチェンバレンの方が現代でも通用する選手になれそうだと思います。もちろんラッセルが通用しないとは思いませんが、2人とも通用しながらもより優秀で多くのチームから欲しがられそうなのはチェンバレンだと思うということです。

ラッセルはその守備力とリバウンド能力が現代でも通用しそうです。今の選手で例えるとジャズのルディ・ゴベアのような選手になると思います。しかしゴベアと同じようにディフェンスに全振りしたような選手であるためどのチームでも欲しがる高評価を得る選手とはなりにくいと思います。

チェンバレンは守備力もリバウンド力もそこそこあり(ラッセルと比較しての話でセンターとしては異次元)、フィンガーロールやフックシュートなど現代の選手が使うような技を当時から多用していたスキルフルな選手だったのでもし現代でプレーするとしてもオフェンスとディフェンス両面で大きな影響を与えることができるセンターとしてリーグトップクラスのセンターという評価を受けるかもしれません。今の選手で例えると、76ersのジョエル・エンビードのような選手になると思います。

まとめ

いかがでしょうか。ここまでの結果をまとめて評価すると強い選手として比較するのであればやはりチェンバレンの方に軍配が上がるのではと思います。プレーした時代でもそうでしたし、現代でも十分にリーグを支配できる存在であるという点を評価しました。

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【選手紹介】史上トップクラスの相棒:パウ・ガソルのキャリアについて語る

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コービーの相棒パウ・ガソル

2010年代以降のレイカーズの黄金時代を引っ張ったコービーの相棒として活躍したパウ・ガソル。彼はもとから母国スペインで最強センターとして活躍しておいた有名選手ですが、メンフィスでキャリアをスタートさせました。では彼はどのようにしてレイカーズの、ひいてはコービーにとって大切な存在になったのでしょうか。今回はそんなガソルについて解説していきます。

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スペイン時代~オールスター選手としての栄光

地元のスペインでポイントガードからプレイをはじめ、名門FCバルセロナにスカウトされ、そこで最強センターとして活躍したパウは2001年のNBAドラフトで全体3位指名を受けたのちにトレードでメンフィスに加入することになりました。

パウは1年目からチームの中心としての働きを全うし17.6点,8.9リバウンド, 2.7アシストを平均して新人王に選出されましたが、チームはリーグ最下位としてパウはデビューから2年の間プレイオフに進出することはありませんでしたが、HCがヒュービー・ブラウンに変わったことをきっかけにチームは大きく躍進を遂げ3年目のシーズンにチーム史上初、パウのキャリア初のプレイオフ進出を果たし、そこから3年連続プレーオフに出場し5年目のシーズンには初のオールスターに選ばれました。2007~2008シーズンには世界選手権で負ったケガによってシーズン途中まで欠場し、その後にレイカーズにトレードされることになりました。

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連覇~ベテラン時代

トレードされたシーズンに、パウは大きく活躍し低迷していたチームはファイナルにいきなり出場するまでに成長しました。そしてファイナルでボストンに敗れたのちのシーズン、レイカーズはドワイト・ハワード率いるオーランド・マジックに勝利し優勝。翌年はボストンにリベンジを果たし2連覇達成を果たし、パウ自身もマジック戦では当時リーグ最強センターとしてリーグを席巻していたハワードを抑え自身はFG60%越えと圧倒的な活躍でチームに貢献しました。

レイカーズの精神的支柱のコービーを支える相棒として活躍したパウですが2014年のシーズンにはシカゴ・ブルズと契約を結びました。ここでもパウはオールスター選出され、初めて弟のマルク・ガソルと共にオールスターゲームに出場しました。

2016年にはサンアントニオ・スパーズと契約しスターターとして出場しましたが、ケガに悩まされ、2019年にミルウォーキー・バックスと契約。そこで3試合のみの出場にとどまり、地元スペインに帰国。地元チームのFCバルセロナと契約し、現役復帰をし、現在もプレーを続けています。

まとめ

いかかでしょうか。パウはジョーダンの次に偉大なSGコービーの絶対的な相棒として連覇にも貢献した歴史上でもトップ5に入るであろう相棒選手として活躍しました。そんな彼は今でもスペインリーグの第一線で活躍していますのでまだ彼の柔らかく頭脳的なプレーを見ることができます。

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【チーム紹介】2010年代後半を支配したチーム:ゴールデンステート・ウォリアーズ

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史上最強チームの一角ゴールデンステート・ウォリアーズ

現在現役最強PGが所属しているウォリアーズ。ここ2年はリーグ下位のチームになっていますが、2015年の優勝を皮切りに2019~2020シーズンまでの5年間、史上最強チームの1つとしてリーグを支配していました。では、そんな最強時代のウォリアーズについて紹介していこうと思います。

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初優勝~大逆転敗北

2014~2015シーズンウォリアーズは実に40年ぶりのリーグ優勝を成し遂げましたが、このシーズンチームは大きく飛躍をしたことで急激に成長したシーズンを過ごしていました。

HCがスティーブ・カーに変わり、よりカリーを中心としてオフェンスが展開されるようになったことでカリーと相棒シューターのクレイ・トンプソンがシューターコンビとして成長し、ドレイモンド・グリーンも選手として大きくステップアップ、プレーオフではアンドレ・イグダーラがスターターに復帰したことで逆転優勝をすることができました。

次シーズン、ウォリアーズは史上最高勝率の73勝9敗を残し、プレーオフではKDとウェストブルックがいた強豪OKCサンダーをカンファレンス・ファイナルで下し、ファイナルではレブロン率いるキャバリアーズと対戦しました。3-1のリードをとり、連覇達成を目前にレブロンと相棒PGのカイリーのパフォーマンスに圧倒され逆転負けを喫し連覇を逃すことになりました。

そしてオフシーズン、ウォリアーズは現役最強スコアラーのKDをチームに加え最強チームとして君臨することになります。

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最強チーム~3連覇目前の悲劇

KDを加えたウォリアーズはそれまでの安定した強さからまた一つ壁を破り、圧倒的な強さでリーグを支配しました。勝率的には前年より低下しましたがゲーム内容としては相手チームがやる気を失うような展開が頻繁にみられ、KDの加入がチームを最強にしたことを強く感じるレギュラーシーズンでした。プレイオフでも最強ぶりを発揮し、ファイナルまで無敗で進出、ファイナルでは再びレブロンのキャバリアーズと対戦となりましたがこの年は戦力の性っていたキャブズを圧倒し王座を奪還しました。

翌年2018~2019シーズン、チームはけが人を多く抱えることとなり、オールスターブレイク前にはヒューストン・ロケッツにカンファレンス首位を奪われてしまいましたが、プレイオフにはカンファレンス2位で出場しました。カンファレンス・ファイナルではロケッツに先に王手をかけられるも相手のエースPGクリス・ポールがケガで離脱したことをきっかけに逆転勝利し、ファイナルに進出。ファイナルではまたもレブロンと対戦することになり、ウォリアーズは連覇をしました。

翌年のシーズン、ウォリアーズはデマーカス・カズンズをチームに加え史上初のスターター全員オールスターというスーパーチームを結成することになりました。レギュラーシーズンではいつもどおりの強さを発揮しましたが、プレイオフでは4年連続ファイナルを戦った疲労によってかけが人が続出、中心選手のKD、トンプソン、カズンズの3人がケガで離脱し、ベンチの層も薄かったウォリアーズはその年カワイ・レナードをトレードで獲得したトロント・ラプターズにファイナルで敗れ3連覇を達成することができませんでした。

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KDの移籍~暗黒時代

けが人が続出したウォリアーズはオフにKDがネッツへカズンズがレイカーズへ移籍、トンプソンはACL断裂によって全休とカリーに大きく負担がかかるシーズンになりました。そのカリーもシーズン開幕後すぐ手首を骨折し、シーズンの最後の方に復帰しました。しかし、巻き返しにつながることはなく、ウォリアーズはカンファレンス最下位から2番目という成績に落ち込みました。

その翌年、昨シーズン、トンプソンは復帰のためのリハビリ中にアキレス腱を断裂しまたもシーズンを全休することになりました。チームは昨年トレードで獲得したアンドリュー・ウィギンスがディフェンス面で成長し、ドレイモンドがオールスターレベルに復調しカリーもケガの影響を感じさせないパフォーマンスでチームを引っ張りました。カリーは怪物ウィルト・チェンバレンが持っていたチーム合計得点記録を破り、62得点試合を達成し、カンファレンス9位としてプレイイントーナメントに出場。負けはしましたが、翌シーズンに希望を持てるようなシーズンになりました。

まとめ

いかかでしたか?ここ数年でウォリアーズは浮き沈みが激しいチームでしたが、圧倒的な強さを誇っていた時にファンになった方は多いのではないでしょうか。昨シーズンは今シーズンに期待できるような予兆を見せてくれましたので楽しみにしていましょう!

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